Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

敵を作らない

Chers mes amis

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ある日のコピーライターの師匠との会話の一コマ。

 


韓信(かんしん)って知ってるか?」

「え?あの中国史の、えっと、確か項羽と劉邦の時代のあの大軍師韓信ですか?」

 

韓信が誰か、という質問に即座に答えられたことに満足する。

 

「そう、その韓信。でも今から”大軍師韓信”ではなく、”股くぐりの韓信”として覚えろ」

「それなら僕も知っています。まだ大軍師ではない若い頃、仲間や町の人達にバカにされて他人の股をくぐらされてたって話ですよね?笑」

「そう、その逸話。その話の本当の凄さをお前は理解してるか?」

「え?・・・まぁなんとなく・・・」

「いや、お前はまだ韓信の股くぐりの本当の凄さをわかっていない!」

「・・・」

 

そう師匠に言われたのはつい最近のこと。
韓信という人物がわからない人もいると思うから少し紹介するね。


故事成語韓信の股くぐり」

昔々、中国で項羽と劉邦という二代勢力が覇権を争っていた時代。
のちに漢国を興した劉邦の元で、天才軍師として活躍した人物こそが今回の主人公の韓信

 

そんな大功績を残した人物なんだけど、若い頃はその片鱗など全くなかったらしい。

 

ある日、韓信は街のチンピラにケンカを売られる。

 

「お前の腰にさしている刀は飾りか?
それが飾りじゃないっていうんなら、俺を斬ってみろ。
それができないなら俺の股の下をくぐれ、この腰抜けが!」


ひどい罵倒を受けたが、韓信は迷わず股の下をくぐった。

 

こんな辱めを受けたら真っ先に飛びかかって斬りかかりそうな状況だけど、
韓信はそれをしなかった。

 

実は、それには理由があった。

韓信には、将来成し遂げるべき大きな志があったからだ。


いま、目の前のチンピラを斬ってしまったら、その志はすべて台無しになってしまうと思った。
なぜなら、いつかその斬った男の家族、友人、取り巻きが命がけで自分を復讐しに来るだろう。
そうなれば、志半ばで死ぬことになる。なんとつまらないことだろうか。
であるならば、股をくぐることぐらい何てことはない。


こうした理由で韓信は自分の志のために股の下をくぐるという屈辱を受けることを、躊躇することなく選んだのである。


それが故事成語韓信の股くぐり」(将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐える)の由来。

 

お前、なめてんのか?

ついつい大人気ないと、わかりつつも言ってしまった・・・_| ̄|O


自分を弁護するわけではないけど、予め言っとくと今回の件は相手の不手際みたいなのが重なって俺が爆発しちゃったってパターンね。苦笑

 

事のあらましはこう。

 

最近、取引のあるクライアントの経理担当者と少しいざこざがあってね。

俺は一人でライターやってるから、当然仕事の営業もライティングも経理も全て一人でやらなければいけない。
だから請求書の発行が遅れたり、担当者とのやり取りがスムーズじゃなかったり、経理の管理がまずいと翌月お金が入金されないみたいな最悪なことなってしまうのよ。

これは俺だけに限らず一人起業家として活動してる人ならお金の管理にはかなりシビアだと思う。


請求書の件で問い合わせても何も音沙汰がない・・
入金は翌月末ではなく、翌々月末にすると一方的にアナウンスされる・・
成果報酬歩合のパーセンテージが契約と違っている・・
月末に入金されるはずの入金がない・・

 

この辺でホトケのよしのりの怒りが爆発したわけ。笑

電話口で、、、

 

「おい!お前よお?俺が個人でやってるからってなめてんのか?一体何なんだ・・・
ギャーギャーギャーギャーギャー・・・」

 

そりゃもう、「正論」を言いたい放題、言いまくりましたよ。


実はこの一件がそもそものコトの発端なのよ、今回のテーマは。

 

Do things right vs Do the right things

経営の父と呼ばれるピーター・ドラッカーは、


「人々が成果を上げられる存在になるためにはどうすればよいのか?」 という質問に対してこう答えた。

 

「物事を正しく行うこと(Do things right)と正しい物事を行うこと(Do the right things)の両方をどうやって実践するのかということを追求すれば良い」

 

この微妙な意味の違いを理解するのは少し難しいから、 

ここで一つの例を。

 

我らが松蔭高校サッカー部にはこんな暗黙のルールがあった。


「1年生の集合時間は、1時間半前に集合場所に行かなければいけない」

 

今考えれば(当時も思ってたけど、、)意味がわからない。なんで1年だけ1時間半前に集合しなければいけないのか。そんな前に集合して何かすることがあるのか。

もちろん意味なんてないし、することも無い。いわゆる「体育会系」と呼ばれる伝統的な慣習というやつ。


でも、もし俺だけ「うるせーバカやろー」とか言って、一人だけ従わなかったら周りからは裏切り者呼ばわりされることになる。とてもじゃないけど、サッカー部には居場所はなくなるだろう。試合に出てもパスは回ってこないし、おそらく先輩からも嫌がらせを受けることになるだろう。

 

当時の俺の目標は何だったか?


「国立に行くこと」「レギュラーとして試合に出ること」「チーム一丸となって試合に勝つこと」

この目標を果たすための、「正しい行動」は果たしてどちらだろうか。


この例で言えば、
1時間半前に集合することが、Do things right。
1時間半前に集合なんて全く意味無いしと、正論を言って10分前に集合するのが、Do the right things。

 

ここで言いたいのは、どっちが良いとか悪いとかじゃないってことね。
俺は個人的にどっちも大事だし、必要なことだと思う。

 

韓信で言うところの「大志」、高校サッカー部時代の俺で言うところの「国立へ行くっていう目標」を叶えるためにどちらの行動が取るほうがよりその夢に近づくことができるか。

 

それを考えるのが一番大事なこと。


味方をたくさん作るのではない。敵を作らないことだ。

 

「お前はまだ韓信の股くぐりの本当の凄さをわかっていない!」

 

「・・・」

 

「いいか、これだけは覚えておけよ。

ビジネス活動をしていく上で多くの人が勘違いをしている。それは、味方や仲間をたくさん増やしていくことが一番大切なことだと思っている。

でも実はそうじゃない。


いかに敵を作らないか、が一番大切なことだよ。

確かに、仲間や味方が多いに越したことはない。たくさんいればそれだけビジネスのチャンスは増えるだろう。

 

でも、一度敵を作ると、その敵はその後どういう行動をとるようになるかわかるか?

 

その敵は、一生をかけてのむらの足を引っ張ろうとしてくるぞ。それは将来どういう結果をもたらすか簡単に想像できるだろ?」

 

いや〜ドキッとしたね。苦笑
生唾をのみ込んだゴクリという音が自分でも聞こえたからね。笑


今回のクライアントとの俺のやり取りを聞いての師匠からの言葉。


怒りに任せて正論ばっかり述べて、相手の非を100%認めさせて、グウの音も出ないぐらいコテンパンに言いくるめてしまった。確かに言ってる時、俺はめちゃくちゃ気持ちが良かったし、モヤモヤが晴れてかなりスッキリした。


でも、相手は納得するかもしれないけど、たぶん俺には良い印象を持っていないだろう。事実、相手をかなり落ち込ませてしまった・・

 

そして、結果「敵」を作ってしまった・・


だから、師匠に続けてこう言われたよね。

「のむらは正しいことを言った。でも、もっと違う言い方があっただろ」と。

 

まだまだ自分の考えが浅いというのか、器が小さいというのかね。
そう思った途端、この韓信の凄さがじわじわ出てきたよ。

 


韓信だったらどう対処しただろうか?

 


それにしてもありがたいよ、まだペーペーの俺にこういうすごく大事な教訓を教えてくれるのは。


一人でやってたら、たぶんこういう大事な教訓を学ぶのって何十年後だったかもしれないし、もしかしたら一生わからずそのまま死んでくことになったかもしれない。


自分の敵だらけになってる世の中。そう考えるだけで、ゾッとするわ。苦笑

 

そうそう、ちなみに、

この教訓って、ビジネスだけに使えるってわけじゃないよ。
仲の良い友人同士でも家族でも「人が介する活動」なら何でも適用できるよね。

 


まとめ。

「この活動において、わたしにとって達成したい目標、目的とは一体何だろうか?」
「それを達成するためには、どのような人間関係を築くことが賢明な選択だと言えるだろうか?」

 

補足。
この教訓は、誰に対しても八方美人に振る舞えと言ってるのではないからね。
あくまでも目的を達成するための最善策は何か?ということだよ。

 


たぶん、俺は今回のような同じ過ちをあと2、3回は繰り返すような気がしてならない。。。
もちろん、なるべく避けようと努力はするけどね。

あなたも無意識レベルでこの問いが頭の中に思い浮かぶぐらい繰り返し唱えまくってみて。(^ ^)そしたら、問題は最小限に抑えられるかもね。

 

言うは易く、行うは難し。
死ぬまで努力していくべ!

 

 

 

 

 

 


PS.
その後、このクライアントさんとどうなたかって?
大丈夫上手くやってるから。こちらから謝ってはいないけど、
俺に「韓信の股くぐりマインド」がインストールされたからね。

 

結局、相手を変えようとするより、自分を変えたほうが早いよ。

日本人。

ひたむきに生きるすべての日本人へ 

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昔から日本には、言霊という言葉があるように、

言葉一つ一つに、霊的な力が宿ると信じられてきた。


言ってみれば、

俺はその霊に取り憑かれた一人だね。

 

その影響からか、

本を読んだり、外国の言語を学んだり、

人の意見や想いを聞くのがめちゃくちゃ好き。

 

言葉の霊達に完全に取り憑かれてるんだろうね。笑
ところで、このブログの一番最初の記事にこんな言葉を載せたんだけど覚えてるかな?

 
”And so, my fellow Japanese:
Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.”

わが同胞の日本人よ、
国が自分に何をしてくれるのかを問うのではなく、自分が国のために何ができるのかを問おうではないか。

 
たぶん、もう覚えてないでしょ?
でも、今ここで思い出してね。この言葉は本当に大事な言霊だから。

 

実はこれ、アメリカの第35代大統領ジョン F. ケネディの言葉なんだよね。
And so, my fellow Japanese・・・のくだりは俺が勝手に付け加えたけど...


個人的に、この一文からにじみ出る行間が本当に大好きで、
初めてこの文を読んだ時、「あーなるほど、これだなぁ」って一人納得してたのをよく覚えてるよ。


例えば「国」の部分を「親」に変えてみたり、「会社」にしてみたり、
もしくは、「学校」「故郷」「友達」「妻」「夫」「隣の家の人」「いつも通勤で使う駅員さん」・・・などなど、、、


あらゆるモノに置き換えて使えたりできるよね。


だけど、人ってわがままで自分勝手な生き物だから、「他人」のことなんて全然考えなくなる。


嫌になっちゃうぐらい自分のことばかり。。。

つくづく自分大好きだよなぁって。

 

どう?心当たりあるでしょ?笑

 

だから、

「自分が国のために何ができるかを問うのではなく、国が自分に何をしてくれるかを問おうではないか」

そう言葉をひっくり返したくなる気持ちもわからなくもない。
むしろ、そう信じて疑ってなかった頃の俺からしたら、このケネディの言葉はもの凄く抵抗があったもん。

 

いやいや、バカ言っちゃいけねぇわケネディさんよ、国が国民を守るのは当然だろ?
だったら国が死ぬ気で国民のことを守ってくれよ!国民に責任転換するなよ!って。苦笑


まぁそんな感じで自分が一番可愛い、自分の保身が第一みたいな男だったんだけど、、、ところがさ、

 

”彼ら”の姿や言葉を見てると無性に自分の小ささが際立つというか、
つまらない男だな、お前は!!って言われてる気持ちにさせられるんだよね。

 

その”彼ら”というのが、

 

「日の丸を背負って戦うアスリート達」

 

ちょうどついこの間リオのオリンピックが終わったよね。
観ててどう思った?本当に感動の連続だったよね。

4年間の集大成として毎日練習に明け暮れている姿を思い浮かべるだけで、グッとくるものがある。


メダルを取った選手、取れなかった選手関係なく国を背負って戦う姿に敬意の念を持たずにはいられないよ。


個人的に言えば、元々サッカーをやっていたこともあって、
サッカー日本代表」というのは俺にとっては本当に特別な存在なんだよね。

もし、神様から一つだけお前が望む職業に就かせてあげよう、そう聞かれたら迷わず、


サッカー日本代表の10番」って答えると思う。


真司、俺にその10番よこせって言うと思うね。間違いなく。


でも、俺よりサッカーが何倍も上手いし、
国を背負って戦うには申し分ないメンタルも持っている。
だから、後は頼むよ真司、俺の夢を。って勝手に夢を託してるんだけどね。笑


小学生の頃は本気で自分はプロのサッカー選手になるもんだと信じて疑ってなかった。

だからかな、ときどき彼らの戦いを見てると、まるで自分が戦っているかのような錯覚を起こす。


それこそ試合に負けた日はめちゃくちゃ悔しいし、勝つと飛び跳ねるぐらいうれしさを爆発させる。日本のために戦う彼らのことを本当に誇りに思っている。

まぁそれだけ思い入れが半端ないんだわ、サッカー日本代表に関しては。


オリンピック選手もサッカー日本代表の選手もそうだけど、
インタビューで口々に、


「日本の威信にかけて戦ってきます」

「日本をワールドカップで優勝させます」

「国の誇りにかけてメダルが取れるように頑張ります」

 

と言うように、どの選手も「日の丸」を常に意識しながら戦っている。


そして、そういう彼らの姿を通して自分たち(国民)も「愛国心」や「日本人としての誇り」を強く実感することができる。


確かに、彼らが普段からそれぞれの競技で世界中の猛者達と鎬を削っていることもあり、「日本を背負う気持ち」や「私は”日本人”だ」という意識を持ちやすいと思う。


特に、サッカー選手は日本よりレベルの高いヨーロッパのクラブチームにどんどん移籍してるし、「日本人」というアイデンティティを誇りに思いながらプレーしている選手が多い。


その一方で、

普段日本国内で暮らす大多数の日本人は外国の人とそこまで触れ合う機会はないし、
日本人として改めて「日本の誇りとは一体何か?」なんてなかなか考える機会もないでしょ?


むしろ、そんなこと周りに言いふらしてたらこいつは右翼の人間か?って避けられかねないしね。。。苦笑

 

ただ、悲しいかな、、、

多くの日本人が「日本という国や自分が日本人だということを改めて強く意識できる時」って、


こうしたスポーツの国際大会や◯◯サミットといった国際会議が開催される時ぐらいなんじゃないかと思う。

 

日本選手がんばれ!日本チームがんばれ!日本政府しっかり頼むよ!って。
そう思うことで、改めて、あぁ俺って日本人なんだなぁって再認識できる。

 

 

だけどさ、、、

 


本当にその時だけしか”日本人”感じられないのかな?

 


俺は敢えてあなたにこの疑問を投げかけたい。

 


実は、正直に言うとね。。。
俺はめちゃくちゃ悔しいのよ。

 

心のどこかで”日本のため”とか、”日本人としての誇り”という言葉を臆面もなく言う彼らにもの凄く嫉妬してる。

 

俺よりも年下の人間や同世代の人間が、
「日本のために・・・」「日本人としての誇りを胸に・・・」「国民のために・・・」とか第一線で体張って戦ってる姿を見る度にそれは強烈に思う。

 

でもさ、そう心の底から言えるのって、本当に彼らだけの特権なのかな?

オリンピックやワールドカップのような国際大会でがんばる日本代表の選手しか言えない言葉なのかな?

 

 

いやいや、ちょっと、待って!
絶対にそんなことはないよ!

 


「彼らが自信を持って日の丸背負って戦ってるけど、俺だってもっとやれる」

「俺だってこの国に対して何かできる」

「心の底から日本人としてのプライドを持って生きていける」

「日本に居ながらも自分は日本人なんだという誇りを失わず、先祖のような勇敢な日本人のように世界と戦える」

「国際舞台で活躍するオリンピック選手やサッカー日本代表選手みたいに自分の祖国のために戦う心構えを持って生きていける」

 

実を言うと、

20代はそんなことばかり考えてたね。笑

(まぁ今もそうだけど、この先もずっと変わることのない永遠のテーマだよ)

 

だから、

高野山に単身乗り込んで寺の門を叩いたり、日本の宗教心や文化を直接肌で感じたり、
海外に行って日本を外から客観的に眺めたり、逆に、外国人をおもてなしする立場として現場を経験してきた。


全ては、こうした自分の頭の中にある疑問の答えを知りたくて。

自分がこの先どんなことができるのか突き止めたくて。

自分のルーツである”日本人”とはどういった民族なのかを純粋に知りたくて。

 

そんなことをいっつも考えてた。
まぁ一言で言えば、俺ってめちゃくちゃ変なヤツなんだわ。笑


でも、もしね、

過去に俺と同じようなことを一度でも考えたことがあるなら、
ここにその答えがあるかもね。


【池間哲郎】『感動の日本史』
http://directlink.jp/tracking/af/1454206/M7r8dlZe/

 

実はこの動画、先週の14日に一日だけ限定で放送されたものなんだけど、
28日にも急遽再放送が決まったみたいなんだよ。

 

動画の内容があまりにも良かったから、ここでも紹介しようと思ってね。
日本人として生まれてきて本当に良かった、そう心の底から思える動画だよ。


これまで50万人もの子供たちに講演を通じて真実を伝え続けてきたスピーカーの池間さんによれば、


「自分の国に誇りを持てない」
という子が大勢いるみたい。


それどころか、
「日本人であることが恥ずかしかった・・・」とまで語った子さえいるらしい。


子供にこんなことを言わせてしまうのが、
今の日本の教育の現状のようなんだけど、それを聞いてあなたはどう思うよ?


この動画で話されてる内容は、大人の僕たちでさえほとんどの人が知らない本当の世界史・日本史の講義だよ。


どうかあなたもぜひ学んでみてよ。子供たちに真実を教えてあげてよ。

そして、共に日本人としての誇りを持って生きていこう!


http://directlink.jp/tracking/af/1454206/M7r8dlZe/

 

 

 

PS.

東京オリンピックに向けていよいよ勝負の4年間が始まったね。

微力だけど「民間外交」の礎を築くために尽力したい。

 

マジで、がんばろう!やるしかねぇって!

木村さんちのりんご

Chers mes amis

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「人前で涙を見せたら絶対にいかん。そんな弱っちい男になるな!」

 

昔から男兄弟という競争の中で揉まれ、サッカーというスポーツの世界で揉まれ、受験戦争という競争で揉まれながら育ってきたせいか、

 

涙を流す=めそめそした女々しいやつ

 

というイメージが完全に定着してしまっている。ひょっとすると俺と同じように思ってる人は結構いるんじゃないかな?

 

他にも、

 

「歳を取ってくると急に涙もろくなる」

 

何てこともよく言われるよね。涙を流す=女々しいヤツという方程式は完全に間違った思い込みだけど、

 

この、歳を取ると涙もろくなるというのは本当だと思う。それだけ人生の酸いも甘いも経験してきて、それがあたかも自分が経験したかのように共感できる力がついてくるからだろうね。

 

コピーライターやってて、文章を書くにあたってよく人にインタビューとかさせてもらうのよ。

この商品を開発した理由は何ですか?とか、この商品は誰に使ってもらいたいですか?とか、どういった想いでこの商品を作ったんですか?とか、、、

 

そんなことばかりやってるせいか、異常なまでの高い共感力が身についてしまったよ・・・笑

 

つまり、弱っちい象徴の、泣き虫になってしまったってこと。。。苦笑

 

「この商品開発にはそんなストーリーがあるんですね。さぞ当時の生活環境は苦しかったでしょうね・・・(涙目)」

 

「そんな想いでこの商売やってるんですね。その想いの源はどこから生まれるんですか?・・・(涙目)」

 

「人からバカだ、アホだ、間抜けだと言われながらも、そんな逆境などものともせず信念を貫いてこられたんですね・・・(涙目)」

 

コピーライターじゃなくても、こうした対面でのコミュニケーションで言葉の”行間を読む”というスキルはとても大切な能力だと思う。

 

これは何もリアルの対面だけに限った話じゃなく、映画や漫画のような創作物を観ても同じようにフルに行間を読みまくる行為に走ってしまうんですわ。

 

実は最近、「奇跡のリンゴ 」という映画を見ました。

もう2、3年も前の映画だから、今更っ??とか言われそうだけどね。笑

 

何人かの人に見ろ見ろ、と勧められてようやく見たんだけど、まぁ終始泣きっぱなしだったわ。もう止まんねぇんだから仕方ないよね。笑

タイトルからもわかると思うけど、青森で奇跡と言われる無農薬でのりんごの栽培を成功させた木村秋則さんという方の実話を基にした映画。

 

木村さんやそのご家族の人生の”行間”を読みまくっちゃってさ、もう一人で涙腺崩壊して大変だった。(^ ^)

 

映画だから少し脚色されてると思うけど、

映画の中のワンシーンに、

 

木村さんが友人に、

「絶対に不可能な無農薬でのリンゴ栽培なんてもう辞めちまえ!!」と言われて、

 

「俺が諦めたら、人類が無農薬でのリンゴ栽培をあきらめることになってしまう!」

と言い放つシーンがあるんだよね。

 

そしてその後、木村家は町の人から徐々に村八分にされて、肩身の狭い想いを10年間も過ごすことに。青森のような小さなコミュニティーだと地元住民の繋がりって何よりも重要でしょ?それが断たれる辛さはいか程のものだったのか。しかも10年間も。。。

 

凡人のわたくしの想像のキャパを完全に超えてるわ。なぜそこまでやり切れるのか理由がわからない。。。軽いパニックだよ、パニック。思考停止状態。

 

その後お金が底を尽き、最終的には食べるものにも困ってしまう。

これ以上、家族に迷惑はかけられないと自殺を考える、、、

 

そんな時に、娘さんが言った一言。

 

「お父ちゃんがリンゴ作りを辞めたら、何のために私はこんなに貧乏してるの?絶対ヤダ!!わたしはお父ちゃんが作ったりんごが食べたい!!」

 

ここからだね、涙腺が崩壊したのは。もうね、思い出してもシビれるよ。このシーンは。りんご農家を10年もやってるのに、木村さんは一度もりんごを栽培したことがないんだよ。

 

農薬を使えば他の農家と同じようにりんごを栽培することはできた。でも、それを一度もしなかった。

10年という歳月はあまりにも長すぎた。今更農薬を使ってりんごを栽培しても、再びりんごを栽培できるまでにさらに何年もかかる。無農薬栽培を続けるも地獄。辞めるも地獄。そんな状況。

 

無農薬のりんご栽培という不可能な夢を諦めることが、家族にとって幸せなのではないか?

このままりんご栽培を続けていくとますます家族を不幸にするのではないか?

そう木村さんは思ってたけど、実は家族は違った。

 

木村さんの心情だけでなく、周りの家族の心情も思うとさらにグッとくる。

たぶんここだろうね、行間を読むことの真骨頂って。

 

その後この言葉に触発され、再び無農薬のりんご栽培に取り掛かり、最終的にりんごの無農薬栽培に人類史上初めて成功することになるんだけど、

 

正直に言って、俺は農業の実体何て一切知らないし、サラリーマンの家の子供だし、家族の中に農業を営む者もいない。

 

だけど、この木村さんの、

 

「奥さんのために、人々のために安全なリンゴを届けたい!!」

 

その一途な気持ちにとてつもなく心が震えるんだよね。しかも先が見えない中での10年間という歳月。10年って、決して短くないでしょ?

 

起業家という人たちが皆持つ「世の中の人の役に立ちたい!」という気持ちと何ら変わることはない。でも、生半可なポッと出の起業家の想いとは次元が違うよね。

 

多くの業種の起業家には成功した先人がたくさんいる。

たとえ、5年で新規ビジネスの90%以上が無くなるという統計があろうとも、現に起業家として成功している人はいっぱいいる。

 

でも、木村さんには先人が誰一人としていない。

水先案内人という希望の光が何一つない。 

 

木村さんがやり遂げたことは、人類には無理だと言われたことだから。

 

それを考えれば今の俺の環境がいかに恵まれているかを痛感せずにはいられないよ。今の仕事は雨も嵐も雪も春も夏も秋も冬も関係ない。

頭とパソコンさえあれば、夏はクーラー、冬は暖房の効いた家の中でできる。

  

あらためて、この映画から

本物の起業家とはどういう人か?について考えさせられたよ。

 

お金がなくても、

パソコンがなくても、

友人を失うことになっても、

何もかも失っても、

やるべきことをやり通す。

 

この映画を観て、

そんな起業家になるという決意と覚悟を新たにしたね。

 

映画の最後で、

木村さんが奥さんの美栄子さんに言ったコトバ。

 

「ひとつのことに狂えば、必ず答えは見つかる」

 

はい、了解です!(^ ^)/

とりあえずこの先10年間、一つのことに狂ってみます!笑

 

周りに迷惑かけてまでも、諦めず自分の夢だけを追いかけ続けることが全て良いことだとは言わない。その人、その人によって時代や環境や境遇が違うワケだからね。

 

うん、こればっかりは何とも言いきれない部分があるのは確か。

どう?あなたはこの映画を観てどう思った?

 

は?まだ観てないって?頼むわ、しっかりしてくれよ!

とりあえず、今すぐツタヤに行って借りてきて、忙しない手を止めて、腰を落ち着かせて、ポテチ片手にじっくり観てみて!笑

人知れず戦う人間の凄みを体感できるからさ。

 

秋になったら早速木村さんちのりんごを注文してみようかね。

これから秋が楽しみだよ、まったく。(^ ^)