Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

このニッポン人から学べ no.10

Chers mes amis

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この人なくして今の自分はなかったかもしれない。

 

その小さな体のどこにそんなエネルギーが蓄えられているのか。


12年前、最初にこの方を見たときに、率直にそう思った。
また同時に、人のエネルギーというのは外から与えられるものではなく、
内から溢れるエネルギー、つまり、「心構え」によって作られるのだということを初めて知る。


そして、今でも忘れられない一言がある。

 


『今年93歳になります。私に余生はありません。
100歳でも、120歳でも、いつまでも現役だからです』

 


こんなにもカッコよく、そして力強く生きる人生の先輩が日本にいるのだと、
体が震えるぐらい感動したのを今でもよく覚えている。


その人物とは、
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん。


さっき新聞で訃報を知り、初めてお会いした日のことを思い出していた。
享年105歳。その圧倒的な生き様と心構えから受けた影響は計り知れない。

 

こんな歳の取り方をしたい。

そう心に誓った瞬間だった。


日野原さんとの出会い


初めて日野原さんを知ったのは、
致知」という人間学をテーマにした雑誌である。
知ってるかな?この雑誌。市販で売ってないからね。

 

大学時代の尊敬する友人に、この雑誌は読んだ方がいいぞ、って勧められたのがキッカケ。

 

そこに日野原さんの特集が組まれていた。
それを読んだのが23か4ぐらいの社会人1年目の時だったかな、その内容にいたく感動しちゃってね。
東京で講演会が開催されるってんで、すぐさま参加の申し込みをする。

 

講演会は超満員。500人以上はいたと思う。
40代、50代の人が大半だった。もしかしたら20代の人間なんて俺ぐらいだったかも。

 

講演会の時間は1時間半ほど。

会場の雰囲気は、迫力のあるパワフルな声で誰も彼もを魅了して、
聴衆全員が熱狂して割れんばかりの拍手喝采と大合唱・・・

 

ではなく^^

 

質問に対して、静かに、ゆっくりと、聴衆一人一人にやさしく語りかけるように。
気品があり、厳かに、そして、時折ユーモアを交えながら話される姿は、
とても、93歳には見えなかった。

 

そしてその時、
人生においてとても大切なことに気づかされたことがある。

それは、

 

「人が老け込む瞬間というのは、年齢の経過からくるのではなく、

気持ちの萎えと無気力さからくるものである」ということ。

 

この大事な事実を人生の早い段階で気付けたのは、

日野原さんのお陰と言っても過言ではない。

 

最大限の敬意と感謝を


民間初の人間ドック。国内初の独立系ホスピス

看護師や様々な職種によるチーム医療。

医師に任せきりにしない患者参加の医療。

そして、地下鉄サリン事件のときの逸話。etc.


日野原さんの華々しい功績である。


おそらく、医療の現場に携わる人ならこの功績の数々がどれぐらいすごいことなのか、よくわかるのだろう。

 

ただ、残念ながら、

それほど医学の世界のことを知らない人間からすれば、なんとなくすごいのだろうぐらいにしか感じられないのは正直否めない。

ましてや、医療の現場のことなどさっぱりわからない。

 


だけど、そんな俺でもこれだけはわかる。
よくわかる。

 


最後の最後まで医療の現場の最前線で尽力された日野原さんの生き様や考え方が、

多くの人の心に多大な影響を与えたものが何であるのかを。

 

そして、
20代の幼い男の人生観と価値観をガラッと変えたものが何であるのかを。

 


「私は最後まで医療の現場に立ち続けましたよ。

さて、あなたのお手並みを拝見しましょうか」

 


そう最後に日野原さんが語りかけてるようだね^^

生涯現役を貫かれたその生き様に最大限の敬意と感謝を。

 

ご冥福をお祈りします。

”本当の自分”はどこへ消えた?

Chers mes amis

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このステキ!な図は、マズローさんっていう、
アメリカの心理学者が示した、人間の5段階欲求というもの。

 

一度は見たことあるでしょ?

 

人は一番下にある生理的欲求から上に一段一段登っていくことで、
自分の欲求を満たしていくっていう理論。


もし仮に、この階段を一段一段登っていくことに人生の幸せがあるのだとしたら、
「自分探しの旅」というのは、階段を登ることを拒否した体のいい言い訳なのかもね。


「自分探し」と「宗教」は紙一重


20代の頃、バックパック一つ背負ってあちこち世界の国々を巡った。
わずかな所持金を持って、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
その理由はもちろん、本当の自分に出会うために。

 

あそこに行けば間違いなく俺の人生は変わる。

あの景色を見れば間違いなく本当の自分に会える。

あの人と話せば本物の自分を教えてくれる。


「自分探しの旅」で劇的に人生が変わると信じていたのだ。


改めて文字におこすと、
何かの宗教に入ってんじゃないかと錯覚するね。苦笑
ひとまず、「自分探し教」と命名しておこう。

 

人生のリセットボタン

 

誰もが心のどこかで、人生をリセットしたいと考えている。
でも、残念なことに、人生にはテレビゲームのようなリセットボタンはない。

 

ただ、幸か不幸か、
世の中にはこうした「リセットボタン」と称したものが溢れている。


いまの世の中には、人生を変えたいと望む人のために、
いろんなリセットボタンが用意されている。

 

例えば、 

新興宗教、自己開発セミナー、携帯電話の出会い系サイト、薬物などは、
どれも人生をリセットするためのお手軽な道具の一種だよね。


もちろん、これらの方法がすべて幻想であることをみんな知っている。


その一方で、心のどこかで人生を変える出来事を願っているのもまた事実。
なぜなら、非日常の世界に憧れるのは人間誰しも持っている願望だからだ。

 

だけど、
そこには本当の自分なんてどこにもいない。

 

自分探しの旅はそろそろ終わりにしよう

 

「人は常に他者の承認を求めて生きている」

 

誰が言ったのか、そしてどこに書いてあったのかは今では覚えていない。
だけど、この言葉には少なからず自分にも心当たりがある。

 

会社の上司から賞賛されたい、異性からモテたい、
家族から自分の存在を認められたい、友達からすごいと思われたい・・・etc.


これらすべてが他者からの承認である。


マズローの5段階欲求を一段一段登っていくその先には、
社会的欲求、尊厳欲求という他者とのつながりから生まれる幸せが控えている。


裏を返せば、誰からも承認されない人生からは幸せは生まれないってことだ。

 

どう?あなたは幸せになりたい?
もちろん、俺も幸せになりたい。


であれば、自分探しの旅のようなリセットボタンを探すのをさっさとやめて、
別の方法で”本当の自分”を探さなければいけない。


じゃあ、本当の自分ってどこにいる?

 

 

それは、日々の積み重ねの延長線上にいる。

 


もし、本当の自分を見つけたいのであれば、
ひたすら地道にコツコツ続けていくしか方法はない。
それが本当の自分探しの旅なんだろうね。


人は誰からも承認されない人生に耐えることはできない。

だけど、その一方で、

 

他人の欲望を満たすだけの人生というのも嫌う。
自分は自分、他人は他人。自分らしい人生を歩みたいのだと。

 

そう思う理由は一つしか考えられない。
山のてっぺんに「自己実現欲求」がどっしり控えているから^^


この矛盾と心の葛藤が「幸せのかたち」を見失いやすい一番の原因なのかもね。笑

他の生き物にはけっしてない、人間独特の複雑な感情に今日も振り回されます(`_´)ゞ

一生実現しない理想郷

Chers mes amis

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ある日、知り合いの資産家にこう尋ねたことがある。

 


「絶対確実な投資先を教えていただけないですか?」

 

 

彼はニヤッと笑ってこう答えた。

 


「それは自分に投資することだよ」

 

 

誰もが一度は耳にする言葉。
いわゆる「自己投資」というやつだ。

 

今日はそんな自己投資について。
この自己投資を語るうえで、絶対に知っていなければいけないことがある。


それが、「人的資本」とは何かということ。

 

金融資本と人的資本


預金金利を年5%として、1億円を銀行に預けると500万円の利息がもらえる。
これを逆から説明すると、500万円の利息は1億円の資産から生まれるということ。


この資産1億円、つまりお金がお金を生み出す能力のことを、
金融資本という。

 

一方、ある人が1年間に500万円の収入を得ていたとする。

労働市場から5%の配当を受けていると仮定すれば、

この人自身の価値(資産)は1億円ということになる。

 

この資産1億円、つまり労働から利益を生み出す個人の能力のことを、
人的資本という。

 

自己投資とは、この人的資本を少しでも大きくする活動であり、

労働市場に自らを投じて、より大きな配当を受けとるために人は日夜「習い事」に精を出す。

 

人的資本には、それ以外にも、

精神面、健康面や人間関係をも含めた広い意味で言えば、
この人的資本の価値を上げることがいかに大切かがよくわかる。

 

まぁ、人生それがすべてだ!と言っても過言じゃないよ。

 

それに比べたら、貯金が多い少ない、マイホームの有無、車の有無、
ブランド品をたくさん持っている持っていない、といった金融資本など、
取るに足らないことだよ。


「自己投資」・・・っぽいこと

 
「自己投資とは、人的資本の価値を高める活動である」

 

そう定義するからこそ、多くの人は大学院や専門学校で資格を取得したり、
語学学校に通って英語力をつけようと「自分へ投資」をする。


ちなみに、俺がスタンフォード大学MBA留学しようと、
留学予備校に通っていたのも、自己投資である、、、

 

と、最近まで思っていた。
でも、正確には「自己投資」っぽいことをやっていたに過ぎないということを最近知る。

 

資格を取ったり、語学を学んだり、、、
こうした投資はたいがい無駄に終わることが多い。(全部とは言わないよ)

 

なぜなら、資格や能力に価値があるのはそれが「希少」だから。
たどたどしい片言の英語が話せるようになったからといって、収入が増えるわけではない。

 

行政書士の資格を取ったからといって、
全国に何十万人といる行政書士の一人になったに過ぎない。

 

弁護士が高給を得られるのは需要に対して人数が少ないからだ。
(最近は、弁護士の数が増えすぎて食えない弁護士も多いと聞くけどね)

 

今も昔も変わらず、
少数の人間が大きな利益を手にする資本主義というゲームの中で暮らしている以上、
ゲームの参加者の大半は損をしていることになる。

 

じゃあ、どうすればいい?
やることは決まっている。

 

”自分だけ”の島を見つけること。

”自分だけ”の刃を研ぎ澄ますこと。

 

すごくシンプルだよ。


自分だけの刃を研ぎ澄ませ!


「国に限らず、企業でも個人でも、誰もが自分の得意分野で頑張れば全員が幸福になれる。
社会は弱肉強食の世界ではなく、人々は自分の特技を交換しあって豊かになっていく。」

 

これはある経済学者の言葉。
とても美しい理論だね。異議なし!俺も大賛成。

 

理想は大事。

だけど、この理想的な建前は話半分に聞いておこう。
というのも、大半の人は疑ってかかって実践しないからね。

だから、いつまで経ってもこの理想郷は実現しない。

 

「誰もが自分だけのエッジ(刃)を持っている」


そう心の底から信じて生きる人がもう少し増えればいいな。

 

 

 

まとめ

 

自己投資とは、

試験で良い点数を取ったり、資格の数を増やしたりすることではない。
自分だけの刃を研ぎ澄ますこと。

そして、しっかり労働市場から配当を得ること。