Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

一枚の紙切れに夢をのせて

Chers mes amis

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くそ暑い平日の昼下がり。

 

JR新橋駅の烏森口を出る。
すると突然、目の前に長蛇の列が現れる。

 

何事か。一瞬ひるむ。
行列の先頭に目を向ける。


その列が目指すお目当ては一つ。
毎年恒例のサマージャンボ宝くじを手に入れることだ。

 

1億円ゲットして、ハワイのワイキキビーチで
のんびりピニャ・コラーダを飲みながら夕日を眺める姿を想像すれば、
うだるような新橋の炎天下など、軽井沢の木漏れ日程度に様変わりしてしまうのだろう。

 

愚か者に課せられた税金


そういえば昔、ある人がこんなことを言っていた。


「宝くじは買ってもどうせ当たらない。
でも、買わなきゃ当たらない」

 

説得力があるような、ないような。
確かにそうだね、とかなんとか言って適当に相槌を打っておいた。

 

日本の宝くじは、売上の半分が経費として召し上げられる、
世界でもっとも割の悪いギャンブルの一つである。


ちなみに、競馬、競輪などの公営ギャンブル控除率は25%。
ラスベガスのカジノでは1〜5%らしい。


50%もの割合を胴元である宝くじ協会に持っていかれるということは、
ゲームに参加したほとんどの人が損をするようになっている。

 

この数字だけ見ると、いかにアホらしいギャンブルかがわかる。

 

ただ、宝くじの一番の魅力は、
お金を払って券を買う以外、何の努力も知識も才能も必要とされないということ。


考え方によっては、
世の中にこれほど平等なギャンブルはないかもね。

 

だけど、一部の賢い資産家は知っている。

宝くじなどの公営ギャンブルは”カタチを変えた税金”であることを。


「愚か者に課せられた税金」と呼ばれるゆえんはここにある。

 

人の不幸は蜜の味?


「宝くじで大金が当たった人のほとんどが不幸になる」


よくそんな言葉を耳にする。

 

それが本当かどうか知らない。

そもそも、宝くじで大金に当たった人を俺は知らない。

本当だろうが、間違っていようがそんなこと知ったこっちゃない。

 

ただ、世間の一部の人たちは黙っちゃいない。

 

最近、JR横浜ー東京間の車両に、ある本のつり革広告を見つけた。

 

「宝くじで1億円当たった人の末路」

 

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発売3ヶ月で8万部売れたらしい。

すごい売れ行きだね^^


他人の不幸は蜜の味ということなのか。
著者が宝くじに裏切られた人で、その腹いせなのかはわからない。笑


ただ、これは個人的な意見だけど、
あながちここに書かれていることは間違いではないと思う。


突然大金を手にいれたことで発生する、影の部分は少なからずある。

お金の魔力に取り憑かれた後遺症とでも言っておこうか。

 

当選することが目的ではない

 

またある人はこう言う。

 

 

「宝くじという紙切れを買っているわけではない。
抽選日までのドキドキ感を買っているんだ!」

 


これもまた、

納得できるような、できないような。

 

「もういくつ寝〜る〜と、抽選日〜🎵」

大人のお正月といった心境だろうか。

 


代わり映えのしない毎日に、
ドキドキ感やワクワク感は絶対に必要なこと。

 


それを1枚300円で買えるのなら安いものだよ。

あなたもそう思うでしょ??

 

 

1枚300円・・・10枚で3000円か。。。

ちくしょう!!
大戸屋のチキン南蛮定食が5回も食えるじゃねぇか!!W(`0`)W

 

 

ちょっと話はそれたけど、、、笑

 


市場経済と呼ばれるこの世の中というのは、
別名「人々の欲望を商品化する装置」と呼ばれている。


楽して億万長者になる夢を見たければ、それに最適な商品が提供される。
だけど、ドリームジャンボはあくまでも”ドリーム”でしかない。

 


「お金を稼ぐことは大事。
お金の使い方に注意を払うほうがもっと大事」

 


宝くじ売り場の前を通るたびに、この言葉を思い出す。

 

 

 

PS.

宝くじの1億円以上の当選確率は約160万分の1らしい。

これは、交通事故で死ぬ確率よりずっと小さいみたいよ。

 

このニッポン人から学べ no.10

Chers mes amis

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この人なくして今の自分はなかったかもしれない。

 

その小さな体のどこにそんなエネルギーが蓄えられているのか。


12年前、最初にこの方を見たときに、率直にそう思った。
また同時に、人のエネルギーというのは外から与えられるものではなく、
内から溢れるエネルギー、つまり、「心構え」によって作られるのだということを初めて知る。


そして、今でも忘れられない一言がある。

 


『今年93歳になります。私に余生はありません。
100歳でも、120歳でも、いつまでも現役だからです』

 


こんなにもカッコよく、そして力強く生きる人生の先輩が日本にいるのだと、
体が震えるぐらい感動したのを今でもよく覚えている。


その人物とは、
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん。


さっき新聞で訃報を知り、初めてお会いした日のことを思い出していた。
享年105歳。その圧倒的な生き様と心構えから受けた影響は計り知れない。

 

こんな歳の取り方をしたい。

そう心に誓った瞬間だった。


日野原さんとの出会い


初めて日野原さんを知ったのは、
致知」という人間学をテーマにした雑誌である。
知ってるかな?この雑誌。市販で売ってないからね。

 

大学時代の尊敬する友人に、この雑誌は読んだ方がいいぞ、って勧められたのがキッカケ。

 

そこに日野原さんの特集が組まれていた。
それを読んだのが23か4ぐらいの社会人1年目の時だったかな、その内容にいたく感動しちゃってね。
東京で講演会が開催されるってんで、すぐさま参加の申し込みをする。

 

講演会は超満員。500人以上はいたと思う。
40代、50代の人が大半だった。もしかしたら20代の人間なんて俺ぐらいだったかも。

 

講演会の時間は1時間半ほど。

会場の雰囲気は、迫力のあるパワフルな声で誰も彼もを魅了して、
聴衆全員が熱狂して割れんばかりの拍手喝采と大合唱・・・

 

ではなく^^

 

質問に対して、静かに、ゆっくりと、聴衆一人一人にやさしく語りかけるように。
気品があり、厳かに、そして、時折ユーモアを交えながら話される姿は、
とても、93歳には見えなかった。

 

そしてその時、
人生においてとても大切なことに気づかされたことがある。

それは、

 

「人が老け込む瞬間というのは、年齢の経過からくるのではなく、

気持ちの萎えと無気力さからくるものである」ということ。

 

この大事な事実を人生の早い段階で気付けたのは、

日野原さんのお陰と言っても過言ではない。

 

最大限の敬意と感謝を


民間初の人間ドック。国内初の独立系ホスピス

看護師や様々な職種によるチーム医療。

医師に任せきりにしない患者参加の医療。

そして、地下鉄サリン事件のときの逸話。etc.


日野原さんの華々しい功績である。


おそらく、医療の現場に携わる人ならこの功績の数々がどれぐらいすごいことなのか、よくわかるのだろう。

 

ただ、残念ながら、

それほど医学の世界のことを知らない人間からすれば、なんとなくすごいのだろうぐらいにしか感じられないのは正直否めない。

ましてや、医療の現場のことなどさっぱりわからない。

 


だけど、そんな俺でもこれだけはわかる。
よくわかる。

 


最後の最後まで医療の現場の最前線で尽力された日野原さんの生き様や考え方が、

多くの人の心に多大な影響を与えたものが何であるのかを。

 

そして、
20代の幼い男の人生観と価値観をガラッと変えたものが何であるのかを。

 


「私は最後まで医療の現場に立ち続けましたよ。

さて、あなたのお手並みを拝見しましょうか」

 


そう最後に日野原さんが語りかけてるようだね^^

生涯現役を貫かれたその生き様に最大限の敬意と感謝を。

 

ご冥福をお祈りします。

”本当の自分”はどこへ消えた?

Chers mes amis

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このステキ!な図は、マズローさんっていう、
アメリカの心理学者が示した、人間の5段階欲求というもの。

 

一度は見たことあるでしょ?

 

人は一番下にある生理的欲求から上に一段一段登っていくことで、
自分の欲求を満たしていくっていう理論。


もし仮に、この階段を一段一段登っていくことに人生の幸せがあるのだとしたら、
「自分探しの旅」というのは、階段を登ることを拒否した体のいい言い訳なのかもね。


「自分探し」と「宗教」は紙一重


20代の頃、バックパック一つ背負ってあちこち世界の国々を巡った。
わずかな所持金を持って、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
その理由はもちろん、本当の自分に出会うために。

 

あそこに行けば間違いなく俺の人生は変わる。

あの景色を見れば間違いなく本当の自分に会える。

あの人と話せば本物の自分を教えてくれる。


「自分探しの旅」で劇的に人生が変わると信じていたのだ。


改めて文字におこすと、
何かの宗教に入ってんじゃないかと錯覚するね。苦笑
ひとまず、「自分探し教」と命名しておこう。

 

人生のリセットボタン

 

誰もが心のどこかで、人生をリセットしたいと考えている。
でも、残念なことに、人生にはテレビゲームのようなリセットボタンはない。

 

ただ、幸か不幸か、
世の中にはこうした「リセットボタン」と称したものが溢れている。


いまの世の中には、人生を変えたいと望む人のために、
いろんなリセットボタンが用意されている。

 

例えば、 

新興宗教、自己開発セミナー、携帯電話の出会い系サイト、薬物などは、
どれも人生をリセットするためのお手軽な道具の一種だよね。


もちろん、これらの方法がすべて幻想であることをみんな知っている。


その一方で、心のどこかで人生を変える出来事を願っているのもまた事実。
なぜなら、非日常の世界に憧れるのは人間誰しも持っている願望だからだ。

 

だけど、
そこには本当の自分なんてどこにもいない。

 

自分探しの旅はそろそろ終わりにしよう

 

「人は常に他者の承認を求めて生きている」

 

誰が言ったのか、そしてどこに書いてあったのかは今では覚えていない。
だけど、この言葉には少なからず自分にも心当たりがある。

 

会社の上司から賞賛されたい、異性からモテたい、
家族から自分の存在を認められたい、友達からすごいと思われたい・・・etc.


これらすべてが他者からの承認である。


マズローの5段階欲求を一段一段登っていくその先には、
社会的欲求、尊厳欲求という他者とのつながりから生まれる幸せが控えている。


裏を返せば、誰からも承認されない人生からは幸せは生まれないってことだ。

 

どう?あなたは幸せになりたい?
もちろん、俺も幸せになりたい。


であれば、自分探しの旅のようなリセットボタンを探すのをさっさとやめて、
別の方法で”本当の自分”を探さなければいけない。


じゃあ、本当の自分ってどこにいる?

 

 

それは、日々の積み重ねの延長線上にいる。

 


もし、本当の自分を見つけたいのであれば、
ひたすら地道にコツコツ続けていくしか方法はない。
それが本当の自分探しの旅なんだろうね。


人は誰からも承認されない人生に耐えることはできない。

だけど、その一方で、

 

他人の欲望を満たすだけの人生というのも嫌う。
自分は自分、他人は他人。自分らしい人生を歩みたいのだと。

 

そう思う理由は一つしか考えられない。
山のてっぺんに「自己実現欲求」がどっしり控えているから^^


この矛盾と心の葛藤が「幸せのかたち」を見失いやすい一番の原因なのかもね。笑

他の生き物にはけっしてない、人間独特の複雑な感情に今日も振り回されます(`_´)ゞ