FROM:ソウル🇰🇷
「1996年12月、名古屋でサッカーをしましたか?
名古屋でサッカー部をしていた野村よしのりが正しいですか?」
去年の年末。
Facebookに一通の日本語が少しおかしなメッセージが届いた。
送り主の名は황인영。ハングル文字。
まったく読めなかった。
韓国人なのか、それとも北朝鮮人なのか。
最近何かと日本と朝鮮半島の緊張状態がニュースで報じられていることもあり、
いよいよ俺もサイバー攻撃の対象になってしまったのか・・・と、
内心、おびえていた。
「あなたが誰かわからない。名前を教えてくれますか?」
恐る恐る返信する。
間髪入れず、返事が返ってくる。
「韓国貨幣小学校ファンインヨウンを覚えてる?
時間は1996年12.21〜12.25」
記憶をたどる。
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続けてメッセージが届く。
「わたしは、20年前あなたの家に泊まった韓国人です。
覚えていますか?元気にしていますか?いつも韓国の友達と話していた。
私たちは大きくなりました。また会えたらうれしい」
小学生の頃、日韓少年サッカー交換留学で我が家に1週間ホームステイをした韓国人だった。
最後に名古屋空港で彼らを見送って以来連絡は途絶え、20年の歳月が経っていた。
その間お互いどこで何をやっていたかなど、一切知る由もなかった。
20年前に育んだ国境を越えた友情が走馬灯のように駆け巡る。
うれしさと懐かしさで思わず涙が溢れ出た。
20年ぶりの再会
ということで、いま韓国のソウルにいる。
20年ぶりに韓国の友達に会いに来たよ。サプライズで^^
到着早々、レストランの予約からソウル市内外問わず、
いろいろな場所に車で連れていってくれたりと、おもてなしが本当に素晴らしかった。
韓国語はもちろん話せない。ハングルも読めない。英語も通じない。
それでも言葉の壁を越えるぐらい、お互い身振り手振りでコミュニケーションをとったり、
スマホの翻訳機を使いながらそれぞれの近況や、小学生のころの懐かし話に華を咲かせることはできている。
本当に便利な世の中になったよ。
それにしても、縁というのはとても不思議だね。
なにか生まれる前から決まっていたかのような出会いもあれば、
何かのチカラで引き寄せられたご縁もある。
もしかしたら、この再会も何かのチカラが働いたのか、
それとも、何かのメッセージなのか・・・。
スピリチュアル的なものを感じずにはいられないね^^
小才は、縁に出合って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合った縁をも生かす
たぐり寄せたこの縁から日韓友好の架け橋を作っていきます(`_´)ゞ
”誰かが始めなくてはならない。
見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、
「あなたから」始めるのだ。”
PS.
おやじとおかんへ。
彼らから伝言ね。
「お元気でしょうか?
20年前はとてもよくしてくれて本当にありがとうございました。
あの時の恩は皆忘れていません。再会を祈願して」
20年前の写真。
彼らの一人が大事そうに持っていたもの^^
明洞。
東京でいう渋谷みたいなところ?それとも原宿?若者の街らしい^^
川の向こう岸は北朝鮮。
韓国と北朝鮮の国境沿いにあるオドゥサン(鰲頭山)統一展望台
いまの韓国の若者たちに政治的な突っ込んだ質問をしまくってきたわ。笑
生の声はめちゃくちゃ貴重だね^^
マッコリの量がハンパじゃないw
ソウル駅。右の建物は東京駅っぽいね。w