Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

”世界で最も格好良い男”と称された革命家

Chers mes amis

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9日の今日。
キューバ革命の指導者として活躍したチェ・ゲバラが亡くなってから50年を迎える。

 

職業、革命家。そんなぶっとんだ肩書きを世界で唯一名乗のる男。

格差や搾取からの解放を目指して、中南米の親米政権と戦い続けた男。

親米軍事政権への革命闘争に挑み、最期まで自分の信念を貫いた男。

半世紀経った今でも、世界中からものすごく人気のある男。

 

それがエルネスト・チェ・ゲバラ

 

つい先日まで恵比寿でゲバラの写真展が行われていたよ。
それぐらい日本でもゲバラの人気は高く、リーダーとしてとてつもない影響力を持つ人物。


生前、広島の原爆ドームキューバ使節団として訪れているらしく、それが日本との唯一の接点らしい。
その時、語った一言がいかにも彼らしい一言として、今でも語り継がれている。

 

 

「アメリカにこんな目(原爆を落とされて)に遭わされておきながら、
あなたたち日本人はなおアメリカの言いなりになるのか」

 

 

そう案内人に語ったという。

ちなみに、俺も隠れゲバラファンとして、彼の功績や信念に影響を受けた一人なんだよね^^


そしていま、ゲバラと行動を共にした日系2世のボリビア人を主人公にした映画「エルネスト」が上映されているね。もちろん、ソッコーで観てきたわ^^

 

一人の日系2世のボリビアフレディ・マエムラさんを通して信念とは何か。正義とは何か。祖国とは何か。改めて考えさせられる映画だったね。

 

確かに、ゲバラの生き方は今でも世界中から賛否両論あるのは事実。
英雄と称える人。革命家と崇める人。テロリストと恐れる人。反逆者と罵る人。いろんな評価がなされている。


ただ、前も少し歴史の見方について書いたけど、そんな後付けの評価なんてぶっちゃけどうでもいいわけ。
大事なのはコンテンツ(出来事)じゃなくコンテキスト(背景や文脈)。


なぜキューバ人でもないアルゼンチン人のチェ・ゲバラのような革命家が生まれたのか?当時の時代背景はどうだったのか?

死を覚悟して向かった最期の地ボリビアに向かった真意はどこにあったのか?

なぜ医者であるマエムラさんのような聖職者がゲバラと共に行動したのか?

 

あと、今回の映画エルネストを通じて、戦後多くの日本人が新天地を求めて南米に移住した背景も知る必要があると思ったね。

 

なぜ南米の人たちは今でも親日家が多いのか。
こうした日本からの移民の人たちが、0から築き上げた信頼と現地での功績が大きいのは間違いなさそうだ。


こうしたコンテキストの真意を突き詰めていけばいくほど、それこそ良いとか悪いとかの一言で片付けられないでしょ?すべての出来事って。

 

唯一わかっていること。

それは、

 


”批判される人間の銅像は立つが、
批判する人間の銅像は立たない”

 

 

映画エルネスト。強烈にオススメです👍

エルネスト~もう一人のゲバラ~

 

 

 

 


PS.
ちなみに、チェ・ゲバラのことをもっと深く知りたい人にオススメの映画3本。

 

モーターサイクル・ダイアリーズ

チェ 28歳の革命

チェ 39歳 別れの手紙

 

上から順に観てね(^_-)

 

 

 

 

PPS.

あと、映画エルネストで主演を務めるオダギリ・ジョーの演技は圧巻だね。
全てスペイン語で演じる役作りがいかに大変か、演劇のことを全く知らない俺でもそれぐらいわかるよ^^

来たるべき将来に備えて・・・

Chers mes amis

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FROM:新宿大ガード下の松屋

 

小腹が空いたらここに限る。

いつものように大好きなビビン丼を注文し、料理が運ばれてくるまでiPhoneを開いてしばし時間をつぶす。

 

「オマタセシマシタ」

 

ニッコリと笑顔で料理を運んでくる女性店員さん。満面の笑みに思わずこちらも笑顔になる。料理を受け取りながら胸元の名札に視線を移す。アン・グエン(仮名)。カタカナで名前が書かれていた。あまりにも笑顔がステキだったため、話しかけてみる。

 

「どこの国から来ましたか?」

 

ベトナムです。」

 

「日本語上手いですね。学生さんですか?」

 

「はい、学生です。でも、他のスタッフのほうが私より日本語上手です」

 

店内を見渡してみる。4、5人はいただろうか、店長らしき人を除いてスタッフ全員が日本人ではなかった。皆黙々と働いている。勤勉に、そして礼儀正しく。

そんな光景を目の当たりにすれば、自然とこちらまで気分がよくなってくる。

 

さて、気分も良くなったところでスプーンを手に取り、ビビン丼を口いっぱい頬張ろうとした、その瞬間・・・

なんとも言えない不安に襲われた。

 

最近はコンビニだけじゃなく、ファーストフード店の店員も日本人から外国人に変わってきた。彼女もまたベトナムから日本という国にチャンスを求めてきた一人なのだろうか。

 

その時感じた得体の知れない漠然として不安。

それは将来の日本の姿である。

 

白衣の天使の厳しい現実

 

昔、NHKだったか「EPA看護師」という特集が組まれていた。

 

EPAとは、経済連携協定のこと。EPA看護師とは簡単に言えば、外国人が一定の条件を満たせば日本の病院で働ける制度のこと。いま日本とこの協定を結んでいるのは、インドネシア・フィリピン・ベトナムの3か国。

 

これから少子高齢化がますます加速する日本では、人材不足や人手不足を解消するためにこうした海外から受け入れるEPA看護師が高い関心を集めているとのこと。

 

でも実際のところ、、、

EPA看護師になるための、国家試験の合格率はわずか7%。

 

この数字だけ見ると海外から看護師さんを受け入れたいのか、受け入れたくないのかよくわからんね。EPA看護師は日本の病院で約3年間働きながら学び、その後日本の国家試験に合格すれば、晴れて日本で看護師として、日本の病院などで働くことができる。

 

国家試験の合格率が低い一番の原因は、日本語試験の難易度の高さらしい。

 

政府はEPA看護師は、労働力不足解消ではなく、あくまで経済連携を目的としたものというのが公式の理由であるみたい。でも、EPA候補者を受け入れる医療現場では、人手不足の解消を期待している。

 

ますますよくわからんね、何がしたいのか。。。でも、こうした現場とトップの意見が食い違うのはよくある話。自国の産業を守るのか、それとも海外との競争にさらすのか。

 

まぁでも、これも時間の問題だろうね。

自国の人間だけでまかなえないなら、どこかから人員を補わないといけない。いくら規制をかけたからといって人件費が安く、しかも肉体労働をいとわず勤勉に働く人がいれば、そうした人たちに頼らざるおえない状況は必ず来ると思う。

 

いまはまだ国民の声が大きくないだけで、おそらく5年、10年経てば政府も無視できないんじゃないかな。もし仮に将来そんな状況になった時、世界でもっとも人件費が高い部類に属し、かつ、福利厚生や社会保障をガッツリ求める日本人の強みって一体何なのか?

いよいよ考えずにはいられない状況になりつつある。

 

しかも、そうした安い労働力の流入だけじゃないよ、これから直面する労働市場って。そう。AIやロボットの存在ね。

 

10年~20年後、約47%の人の仕事がなくなる!?

 

オックスフォード大学と政府の統計データなどからわかったこと。

それは、今後10年~20年ほどで約47%の仕事が自動化されるという予測。

 

コンピューターの技術の進歩でこれまで人間にしかできないと思われていた仕事が、ロボットなどの機械に取って代わられようとしている。

 

たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車。これから世界中に行き渡れば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのだろう。

 

ソフトバンクが開発した、人間相手に会話をする世界初の感情認識パーソナルロボット『Pepper』の存在。すげー!かわいい!ハイテク!だなんて、素直に感動できない自分がいるのも確か。

 

子供の頃に憧れたSFの世界が現実化する日が近づいてきてワクワクする反面、ロボットが人間の仕事を奪う皮肉な結果をもたらすのも直視しなくちゃいけない。

 

すると、ふとした時こう思うわけ。

 

「このまま、この仕事をずっと続けていて、いいのだろうか?」

 

当たり前だよ。こうした疑問をいまのような時代の転換期に感じるのはごく自然なことだと思う。俺がいまやってるコピーライターという職業も近い将来AIに取って変わられる、なんて言われてるぐらいだからね。

 

もちろん俺もバリバリ感じてるよ、こうした漠然とした不安をさ。

 

目まぐるしく変化する環境の中で、自らも変化しながらいかに適応していけるか。

いまのように隣国との緊張状態が続く中、日本人としてどう振る舞っていくか。

こうしたすべての現実を受け入れつつ、世界の中でどういうスタンスを取っていくか。

 

これからの時代、日本人の果たす役割というものが、ますます大きくなると思うね。

大きく和する魂を持つ民族。過去何千年も昔から長期繁栄を目指してきた日本人という存在がさ。

 

じゃあ、その役割って一体何だろう。

それがわかった時、AIの脅威や安い労働力との競争とはまた別次元で日本人としての強みを生かせるんじゃないかな。

 

ちなみに、あなたはどう思う?

横浜3年目。今思うこと。

Chers mes amis

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10月。2017年も残すところ3ヶ月。

さぁ今年もラストスパートだー!なんて心機一転気を引き締める人も多いんじゃないかな。

 

もちろん、それは俺にとっても例外じゃない。

10月という月は自然と気が引き締まる。というのも、2年前ここ横浜で勝負しようと決意した月なのだから。

 

横浜に来て丸2年。

住めば都という言葉があるように、今ではすっかり横浜という街に溶け込んでいる。

 

繁華街の桜木町。港街のみなとみらい地区。歴史の鎌倉と小田原。海軍の街横須賀。別荘地の葉山。海の湘南。山と温泉の箱根・・・

 

まだまだ知らない風光明媚な土地や場所がたくさんある。

そう思うと、本当にいつまでも飽きないステキなところだよね。この神奈川って県はさ^^

 

ただ、いま横浜に住んでいるといっても、一人の”市民”という感覚は全くない。

それはいつまでも一人の”旅行者”としての感覚を失いたくないから。新鮮な気持ちを失わないように、折に触れて意識的に思い出すようにしている。

 

”慣れ”には特に気をつけている。慣れた瞬間感動が無くなってしまうのはよくあること。最初に横浜の地に降り立ったあのみずみずしい感情を忘れたくはないんだよね。

 

30という年齢を超えると次第に地に足をつけた生活を送らなくては・・・というような変な焦りに似た感情を抱くようになる。

それはある意味、当然といえば当然のことなのだろう。

 

だけど、ここ最近の5年間を振り返れば、それとは真逆のことをしている。

同じ場所に1年半以上いたことがないんだよね。

 

なぜだろう。

ふとそんなことを改めて考えていたら、あっさり答えが出た。

 

 

「”慣れ”が初心を忘れる最大の敵である」 

 

 

住む場所に限らず、仕事、人間関係、趣味に至るまで、”慣れ”によって感動が薄らいでいくことがたくさんあるよね。

 

普段の生活の中で知らず知らずのうちに惰性で扱ってしまっているものはないだろうか?

当たり前だと思っていることは、実は当たり前ではなかったりする存在に感謝できているだろうか?

 

例えば、

家族の助け。友人の存在。メンターの教え。パートナーの支え。仕事仲間の協力。

その他にも、日本の衛生状況。食事環境。快適な暮らしを保証されている住環境。分刻みにオペレートされている公共交通機関。ドミノピザは30分以内に配達してくれることw、などなど・・・

 

書き出してみると身の回りには”当たり前”と思われていることが、本当にたくさんあることに気づく。そして、それに慣れてしまっている自分に気づく。 

 

普段何気なく生活していると、「本当は当たり前ではないこと」に対していつからか、さも当たり前かのように傲慢な態度で振舞っている自分に気づく。 

 

慣れることは決して悪いことではない。

だけど、”慣れ”と”感動”は共存しないということを肝に銘じておこう。

 

世の中に溢れる”当たり前のこと”に対して、いつまでも感謝と感動の気持ちを持ち合わせる人間でありたい。どうせだったら、そんな自分で一生あり続けたいじゃん?

 

それが横浜3年目をスタートする今日思うこと。

 

2017年の集大成を。そして、2018年に向けた最高の準備期間として。

この3ヶ月を大切に過ごしていこうよ👍