Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

忠臣蔵から学ぶ人間心理③

義理人情に厚い同士へ

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忠臣蔵の謎その2。

立場と役割の悲劇について。


親孝行者の子供であるがゆえの悲劇。

 

忠臣蔵47義士の一人に、

萱野三平(かやのさんぺい)という人物がいる。

 

たぶん、忠臣蔵の大大大ファンという人ぐらいしか知らない名前じゃないかなw
正直、俺も泉岳寺に行って初めて知った人物だから。

 

泉岳寺の主な見どころは、

切腹した浪士全員のお墓、書物や文化財が保管されている資料館、そしてもう一つ、浪士全員の木像が展示されている木像館。主にこの3ヶ所ある。

 

この3ヶ所の中でどこが一番人気がないかって言ったら、圧倒的に木像館だろうね。

館内は、水をうったようにシーンとしていて、若干ジメッとしてるし、ぶっちゃけ薄気味悪い。苦笑

俺が行った時は人が誰もいなくて、木像が今にも動き出しそうでビクビクしながら見学してたよw

 

で、そこで一つ違和感を感じた木像があったんだよね。

一体だけ肌が青色に塗られた像があるのよ。

他の像は全部、人間味の感じる茶色やベージュで作られてるのに、「なんでこの人だけ幽霊みたいに青く作られてるんだろう?」と、普通は思うじゃん?

 

そう。その人物こそ、萱野三平。

実はね、この人は吉良邸に討ち入り前に自殺した人なのよ。


「さぁこれからだ!」って士気を高めてる最中に、一人ひっそりと命を絶った。
普通に考えたら、まったく理解できないでしょ?


忠臣蔵ファンでもここにフォーカスを当ててる人はいないと思う。

でも俺が思うに、この萱野三平という人物の自殺こそ、忠臣蔵の一番の悲劇なんじゃないかと思うんだよね。

 

てか、そもそもなぜ、討ち入り前に自殺したのか?

 

結論から言うと、
主君への忠義と家族への恩義。
どちらも捨てることができず、二つの板ばさみに苦しんで最後の最後、自ら命を絶つという選択をしたのよ。


簡単なあらましはこんな感じ。

 

///

江戸城で起こった刃傷事件後。

赤穂浅野家はお家断絶。領地は幕府に召し上げられた。

 

赤穂藩藩士足軽計1000人余りとその家族は路頭に迷うことになり、それぞれ散り散りバラバラになる。

その一人である萱野も一介の浪人になってしまった。
簡単に言えば、無職になったってこと。

 

当時は仕官先(職場)を失ったら、別の仕官先を探すことが、浪人侍の普通の身の振り方である。
そんな萱野の不運を見かねた父親が、新しい仕官先の話を持ちかける。

 

その仕官先は大嶋家。

大嶋家は戦国時代に土地を失った萱野家を再興させた、恩ある主君の家である。

 

しかし、萱野はすぐにこの話に飛びつかなかった。いや、飛びつくことなどできなかった。なぜか?今は亡き主君、浅野家の忠義のために。


父に再仕官の口を見つけてもらうために、これまで浪人を続けていたわけではない。
浪人を続けている理由はもちろん、来る「吉良邸討ち入り」のためであった。

 

その頃、世間では「いつ赤穂浪士が主君の仇を討つのか?」という噂が絶えなかった。
父・重利は当惑した。討ち入りはただ事では済まされない、ということは簡単に予想できた。

 

討ち入りは、幕府の判断に対する反抗という意思表明である。
勝っても負けても、罪を問われるだろう。親戚・縁者に罪が及ぶのが当時の習わしだった。

 

場合によっては、恩ある主家・大嶋家にも被害が及ぶかもしれない。
旗本である大嶋家の家臣の者から、討ち入り参加者が出たということで罪を問われる可能性は十分考えられた。

 

父として、是が非でも息子には大嶋家に仕官して欲しかった。

 

そんな矢先、萱野は「江戸に出て仕官先を探す」と父に言い残し一人旅立つ。

 

「まさか・・・」


父は気が気でなかった。


そして、元禄15年1月14日。
萱野三平自害。享年28。

奇しくもこの日は、月こそ違えど、主君の浅野内匠頭の命日と同じ日だった。

///

 

まぁざっとこんな経緯だね。

今となっては、当時の萱野が何を思い、何に悩んでいたのかを知ることはできない。

 

ただ、一つ手がかりとなるのは、残された2通の遺書から当時の萱野の心境をうかがい知ることができる。

その2通は、父・重利と討ち入りのリーダー大石内蔵助に宛てて書かれていた。

 

大石宛てのものには、同志達と共に約束を果たせない罪を侘び、そして討ち入りの成功を祈る旨が記されていた。


俳人でもあった萱野が、最後残した辞世の句。


晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り


「心の花曇り」とは、たぶん萱野の心の板ばさみとなった「忠義と孝行」のことだろう。
忠義の信念を貫けば、親兄弟に罪が及び、「孝行」が立たない。

だからといって、大嶋家へ再仕官すれば孝行はできるかもしれないが、「忠義」が立たない。
あっちを立てれば、こっちが立たず。

「日ごろ」とあるから、きっと来る日も来る日も悩んでいたんだろうね。

そして、「晴れゆくや」。
最後「死」という道を選ぶことで、来る日も来る日も萱野の心に立ち込めていた「花曇り」は、すっきり晴れ渡っていたのだろう。

 

こんな言葉がある。


武士道とは、死ぬことと見つけたり


たぶん、一度は聞いたことがあるでしょ?この言葉。
武士道書である『葉隠』の有名な一説。


この言葉は「武士は無条件で命を捨てるべきだ」とか「命を落としてこそ一人前」のような意味だと思われがちだけど、俺はちょっと違うと思うんだよね。


「死んだほうがいい」ではなく「いつも死ぬつもりで生きている」と解釈するべき。

まさに、武士道を最後まで貫いた、そんな人物だったんじゃないかな、萱野三平という人物は。

 

この一件は、けっして人ごとではないよ。
今でも形を変えて、似たような出来事はいっぱい起こってるよね。


人間には本来、「役割」を果たそうする強い動機が備わっている。
それは、人生における自分の役割をもっと良くこなしたいという感情。

 

例えば、

もっと威厳のある父親になりたい、もっと優しい母親になりたい、もっと手のかからない聞き分けのいい子供になりたい、もっと人から尊敬される社長になりたい、もっと部下から慕われる上司になりたい、もっとかわいい彼女でありたい、などなど。


代々医者の家系なのだから、その子孫であるお前も、当然医者にならなければいけない。
こうした親のプレッシャーに耐えかねて、不幸な結末を迎えた人を俺は知っている。

 

親のエゴを優先するのか。それとも子供の自立心を尊重するのか。
すべては、人から認められたい!という「承認欲求」からきていることを忘れちゃいけないね。

 

人間の心理は、今も昔も変わらない。

たぶん、100年後も1000年後も変わらないだろう。


忠誠心。親孝行。親が子を思う気持ち。義理人情。思いやり・・


こうした人間本来に備わる人間心理を理解しつつ、
「役割を果たしたい!」という人間の根元的欲求に寄り添える人が今も、そして、これからますます求められていくだろうね。

 

僕たちはそんな「寄り添える人」にならなければいけない。

そう、萱野三平の悲劇を繰り返さないために。

 

 

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