2020年7月24日 東京オリンピック開幕当日まで、あと1646日
お楽しみ様です。
野村美徳です。
昨日の午後東京駅で人に会った後、以前から気になっていた、
「海難1890 」という映画を観てきました。
これは日本とトルコの友好125周年記念として両国合作で製作された映画です。
あまり馴染みのない話ですが、実は日本とトルコはある出来事を通じてとても関係の深い仲なのです。
この映画は、1890年に起きたトルコの使節船エルトゥールル号遭難事件と、
1985年のイラン・イラク戦争勃発時に、テヘランに取り残された日本人の救援のため、
トルコ政府が救援機を飛ばして救出した出来事が描かれています。
危機的状況で日本人とトルコ人の「真心」の美しさが描かれています。
国籍に関係なく一人の人間として相手のために尽くす献身的な姿が印象的でした。
特に海難時、台風で大荒れの中を必死にトルコ人を救助する日本人の姿にはとても胸を打たれました。
心の底から日本人の末裔として誇らしい気持ちになりました。
しかし同時に、
日本人であることに「恥」ました。
1985年のイランは隣のイラクとの戦争でとても緊迫していました。
そんな中、イラクのフセイン大統領から「48時間以内に無差別でイランを攻撃する」という声明が発表されます。
イランの首都テヘランに滞在する日本人は当然パニックになります。
他の国は自国の航空機をテヘランに飛ばしてイランから脱出していく中で、
日本だけが航空機をイランへ飛ばしませんでした。
映画では在イラン日本大使館が日本の政府に助けを請うシーンが描かれていました。
日本政府から助けには行かないと言われ、落胆する大使の姿が印象的です。
率直にこの歴史を知らない人からすれば、何で助けに行かなかったんだ?と思いますよね?
その理由がとっても日本人らしいです。
「安全が確保されていないから」
「イラン派遣に関する国会の承認が得られるまでに時間がかかるから」
あなたはどう思います?この理由を聞いて。
僕はある日本人を皮肉るジョークを思い出しました。
そのジョークで描かれる日本人は、
何かの決断に迫られると、なんでもかんでも「本社に問い合わせる」優柔不断な民族として取り上げられています。
僕が思うのは「決断できない」のではなく、「責任を負いたくない」のだと思います。
おそらく、この一件で他の国々は、
「日本」という国は平気で自国民を捨てる国である、と印象づけたと思います。
残念ながら、それが事実です。
正直、僕はこの映画を、
「真心」は国境を越える!
人を思いやる気持ちは美しい!
などという「素敵な映画の一つだ」と一括りにしたくありません。
この映画で日本政府のシーンは出ませんでしたが、
「勇敢な決断を下したトルコ政府」と「責任を負いたくない決断できない日本政府」のコントラストが鮮明に描かれていたと思います。
奇しくも1985年とは僕が生まれた年です。
当時の日本では大きく報道されていたかもしれませんね。
そして、当時テヘランにいた300名近くいた日本人の方々はきっと悔しかったことでしょう。
自分が日本人であることを改めて考えさせられる映画でした。
僕の視点も参考にしつつ、一度ご覧になってみてください。(^ ^)
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