Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

32年目のシーズン

2020年7月24日 東京オリンピック開幕当日まで、あと1243

Chers mes amis

 

”30代前半は、僕からみればまだ若い。

無理も利く。「自分はもう年だ」なんて感じなくていいと伝えたいね。
30歳を過ぎたある選手は、

「最近、疲れが抜けない気がするんです」と相談されたときは、
こうアドバイスするんだ。

 

「気がする?まぁ、気のせいだよ」”

 


32年目のシーズンを迎えて

 

昔、矢沢の永ちゃんが言った、一言が忘れられない。

あるインタビューアーから”矢沢永吉”というキャラとは正反対な振る舞いをするように頼まれて、永ちゃんはこう答えた。

 


俺が許しても、”矢沢”が絶対に許さない。

 


プライベートの”矢沢”とステージに立つみんなの”矢沢”を完全に切り離して自分という人間を確立した矢沢永吉さんならではの言葉。

矢沢ファンの一人として、この言葉に鳥肌が立つほど”カッコイイ”と感動したのはちょうど10年前のこと。

 

お陰さまで昨日、無事32歳を迎えました。
いろんな人にお祝いのメッセージを頂いて本当に感謝の言葉しかないです。
僕がここまで生きられたのはあなたのお陰です、と心を込めて一人一人にお伝えしたい。

 

そして32歳を迎えたということは、

同時に”野村美徳”の32年目のシーズンが始まったということ。


(スポーツ選手じゃあるまいし、何が”シーズン”だ・・)

そう、思うかもしれない。

 

これは完全に個人的な趣味嗜好だけど、”シーズン”という言葉を使うと、

一年一年勝負してる感があって自然に気持ちが高ぶってくる。

そして、何よりも単純に響きがカッコイイ^^


んでもって、スポーツ選手みたいで、「なんか俺ってイケてね?」みたいに一人で勝手に自分に酔いしれるために使ってるのは正直否めないけどね。


でも、敢えて”シーズン”という言葉を使うのにはそれなりに理由がある。
これは、毎年誕生日を迎える度に感じることでもあるんだけど、

それはこんな理由から。

 

『”野村美徳”という、一人の人生のプレーヤーとしての成長尺度を測るため』

 

どう?納得?
それはつまり、自分のことを客観的に見つめるためなんだよね。

 

プロ野球選手やJリーガーが毎年シーズン前に厳しいキャンプを経て、公式戦に臨むように、食うか食われるかの弱肉強食の世界で、しのぎを削る彼らは「自己成長」と「実績」を残すために膨大な練習時間と労力を費やす。

 

永ちゃんがプライベートの”矢沢”とステージの上の”矢沢”をはっきり区別するように、「自己俯瞰力」は、人生の一プレーヤーである以上、引退するまで必要不可欠な能力だということ。

 

じゃあ、”人生のプレーヤー”の引退とはいつなのか。

本当にそれって、定年を迎える時?

 

自己俯瞰力の重要性


まぁこんな事自分でも言うのもなんだけど、結構この”自己俯瞰力”には、自信があるんだよね。というのも、自分の素行の悪さや口の悪さをよく反省したりするしね。苦笑

 

例えば、

自分の振る舞いが悪かったり、幼稚な態度をとってしまうと、後で、ハッと我に返って、

 

(よくもまぁ、30年もかけて意地の悪い人格を作ったものだ、お前は)と、猛烈に自己反省したり、、、

 

口から出まかせのように嘘をうまくついて、その場凌ぎの対応をしたりすると、

 

(よくもまぁ、30年もかけてペラペラと口が達者なペテン師を作り上げたもんだね、お前ってヤツは)と罪悪感に苛まれたり、、、

 

こんな感じで、もう一人の自分が冷静かつ客観的に監視してるんだよね。笑

 

でも、勘違いしないでね、

もう一人の自分と対話ができるスピリチュアル的なものとか、ホラー映画とかでよくある、もう一人の自分が見えたりといったようなものでは決してないから、安心して。笑

 

あと、

これは何も自分で自分のことを客観的に見るだけじゃなくて、他人の振る舞いや言動なんかを見てもよく思うね。


(このおばさん、50年もかけて一切ニコリともしない人物を作りあげたんだなぁ)とか、


(このおっさん、40年もかけて二言目には会社の悪口しか言わない嫌みな人格を作り上げたんだなぁ)とか、

 

(このじいさん、70年もかけて過去の栄光話を延々と繰り返して、自己顕示欲の塊かのような人間を作り上げたんだなぁ)とかね。

 

人の振り見て我が振り直せ、じゃないけど、反面教師なんてのはそこらじゅうにいるよ。

 

とは言っても、

あまり大きな声で他人のことばかり言ってられないけどね。


人格という”崇高な作品”


◯◯会社の野村美徳です。という「◯◯会社」という肩書きがなくなってから、
これは特に思うね。

それは、


その人物が備えている、”人格”こそが全てだ。

 

ということ。

中小企業の業績は99%は社長で決まる、とよく言われる所以は、この人格が大きく関係しているのは間違いなさそうだね。


人格とは、その人が何気なく振る舞う行動であったり、考え方であったり、信用度であったり、魅力であったり、主体性であったり、大切にする価値観であったり・・

そうした総合的なものっていうのかな。

 

それはもう、何年もかけて作り上げた一つの芸術作品なのかもしれないね。


極端な話、

「”野村美徳”という人間を32年間やってます。自分では結構気に入ってます」って、胸張って誰かに言った時に、


「はぁ?何言ってんのお前?頭おかしんじゃねーの?」って言われるんじゃなくて、

 

「えーーーーーーーまじで?あの、のむら?えっ嘘でしょ?マジ?本物?」みたいな、人間的魅力を兼ね備えた人間になるということ。笑

 

どうせ生きるんだったら、大木の年輪のように、歳を経るにつれて少しずつ幹が太く、味のある人間になりたいじゃん?

それはとてもじゃないけど、32年ではまだまだ全然足りないよ。 


今年50歳を迎える”あの人”からの叱咤激励!?


尊敬して止まない、”あの人”が2月生まれだということは昔から知っていた。
その人物とは。

そう、サッカー界のレジェンド、三浦知良選手。

 

何かの巡り合わせか、昨日、日経新聞のスポーツ欄にカズのコラムが載っていた。
それが冒頭に書いた言葉だ。

 

そして、

その続きはこう書いてあった。

 


Jリーグ創設時の20代が一番か、というとそうでもない。

50歳を迎えるにあたり、きょう、今この瞬間を向き合う一日が最も充実していると素直に思える」

 

そして、最後は、

こう締め括られていた。

 

 

 

「50歳はまだ5合目、見習いのカズです」

 

 

 

子供の頃から何かを達成したら、すぐに調子に乗ることは自分自身が一番よく知っている。
でも、こうした”カッコイイ大人”が人生の先輩にいる限り、身分不相応に羽目を外したり、虚勢を張ったり、そして、大きく道を外すことはない。(と、思う・・たぶんね)


野村美徳、32年目のシーズン。
奇しくも、今年カズも同じくプロ32年目のシーズンを迎えるという。

(一緒にするのは大変おこがましいけど、そこら辺は大目に見て)

 

最後に、

勇気を振り絞ってカズにこう聞いてみた。

 


「カズさん、最近パソコンの画面ばかり見ていて、目の疲れが抜けない気がするんです」

「気がする?まぁ、気のせいだよ」笑

 


カズからのありがたい誕生日のお祝いの言葉として、
50歳になった時に読み返せるように、それまで大切に保管しておこう。

 

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