Dear NIPPON

横浜ではたらくマイクロ法人社長のつぶやき

来たるべき将来に備えて・・・

Chers mes amis

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FROM:新宿大ガード下の松屋

 

小腹が空いたらここに限る。

いつものように大好きなビビン丼を注文し、料理が運ばれてくるまでiPhoneを開いてしばし時間をつぶす。

 

「オマタセシマシタ」

 

ニッコリと笑顔で料理を運んでくる女性店員さん。満面の笑みに思わずこちらも笑顔になる。料理を受け取りながら胸元の名札に視線を移す。アン・グエン(仮名)。カタカナで名前が書かれていた。あまりにも笑顔がステキだったため、話しかけてみる。

 

「どこの国から来ましたか?」

 

ベトナムです。」

 

「日本語上手いですね。学生さんですか?」

 

「はい、学生です。でも、他のスタッフのほうが私より日本語上手です」

 

店内を見渡してみる。4、5人はいただろうか、店長らしき人を除いてスタッフ全員が日本人ではなかった。皆黙々と働いている。勤勉に、そして礼儀正しく。

そんな光景を目の当たりにすれば、自然とこちらまで気分がよくなってくる。

 

さて、気分も良くなったところでスプーンを手に取り、ビビン丼を口いっぱい頬張ろうとした、その瞬間・・・

なんとも言えない不安に襲われた。

 

最近はコンビニだけじゃなく、ファーストフード店の店員も日本人から外国人に変わってきた。彼女もまたベトナムから日本という国にチャンスを求めてきた一人なのだろうか。

 

その時感じた得体の知れない漠然として不安。

それは将来の日本の姿である。

 

白衣の天使の厳しい現実

 

昔、NHKだったか「EPA看護師」という特集が組まれていた。

 

EPAとは、経済連携協定のこと。EPA看護師とは簡単に言えば、外国人が一定の条件を満たせば日本の病院で働ける制度のこと。いま日本とこの協定を結んでいるのは、インドネシア・フィリピン・ベトナムの3か国。

 

これから少子高齢化がますます加速する日本では、人材不足や人手不足を解消するためにこうした海外から受け入れるEPA看護師が高い関心を集めているとのこと。

 

でも実際のところ、、、

EPA看護師になるための、国家試験の合格率はわずか7%。

 

この数字だけ見ると海外から看護師さんを受け入れたいのか、受け入れたくないのかよくわからんね。EPA看護師は日本の病院で約3年間働きながら学び、その後日本の国家試験に合格すれば、晴れて日本で看護師として、日本の病院などで働くことができる。

 

国家試験の合格率が低い一番の原因は、日本語試験の難易度の高さらしい。

 

政府はEPA看護師は、労働力不足解消ではなく、あくまで経済連携を目的としたものというのが公式の理由であるみたい。でも、EPA候補者を受け入れる医療現場では、人手不足の解消を期待している。

 

ますますよくわからんね、何がしたいのか。。。でも、こうした現場とトップの意見が食い違うのはよくある話。自国の産業を守るのか、それとも海外との競争にさらすのか。

 

まぁでも、これも時間の問題だろうね。

自国の人間だけでまかなえないなら、どこかから人員を補わないといけない。いくら規制をかけたからといって人件費が安く、しかも肉体労働をいとわず勤勉に働く人がいれば、そうした人たちに頼らざるおえない状況は必ず来ると思う。

 

いまはまだ国民の声が大きくないだけで、おそらく5年、10年経てば政府も無視できないんじゃないかな。もし仮に将来そんな状況になった時、世界でもっとも人件費が高い部類に属し、かつ、福利厚生や社会保障をガッツリ求める日本人の強みって一体何なのか?

いよいよ考えずにはいられない状況になりつつある。

 

しかも、そうした安い労働力の流入だけじゃないよ、これから直面する労働市場って。そう。AIやロボットの存在ね。

 

10年~20年後、約47%の人の仕事がなくなる!?

 

オックスフォード大学と政府の統計データなどからわかったこと。

それは、今後10年~20年ほどで約47%の仕事が自動化されるという予測。

 

コンピューターの技術の進歩でこれまで人間にしかできないと思われていた仕事が、ロボットなどの機械に取って代わられようとしている。

 

たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車。これから世界中に行き渡れば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのだろう。

 

ソフトバンクが開発した、人間相手に会話をする世界初の感情認識パーソナルロボット『Pepper』の存在。すげー!かわいい!ハイテク!だなんて、素直に感動できない自分がいるのも確か。

 

子供の頃に憧れたSFの世界が現実化する日が近づいてきてワクワクする反面、ロボットが人間の仕事を奪う皮肉な結果をもたらすのも直視しなくちゃいけない。

 

すると、ふとした時こう思うわけ。

 

「このまま、この仕事をずっと続けていて、いいのだろうか?」

 

当たり前だよ。こうした疑問をいまのような時代の転換期に感じるのはごく自然なことだと思う。俺がいまやってるコピーライターという職業も近い将来AIに取って変わられる、なんて言われてるぐらいだからね。

 

もちろん俺もバリバリ感じてるよ、こうした漠然とした不安をさ。

 

目まぐるしく変化する環境の中で、自らも変化しながらいかに適応していけるか。

いまのように隣国との緊張状態が続く中、日本人としてどう振る舞っていくか。

こうしたすべての現実を受け入れつつ、世界の中でどういうスタンスを取っていくか。

 

これからの時代、日本人の果たす役割というものが、ますます大きくなると思うね。

大きく和する魂を持つ民族。過去何千年も昔から長期繁栄を目指してきた日本人という存在がさ。

 

じゃあ、その役割って一体何だろう。

それがわかった時、AIの脅威や安い労働力との競争とはまた別次元で日本人としての強みを生かせるんじゃないかな。

 

ちなみに、あなたはどう思う?

横浜3年目。今思うこと。

Chers mes amis

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10月。2017年も残すところ3ヶ月。

さぁ今年もラストスパートだー!なんて心機一転気を引き締める人も多いんじゃないかな。

 

もちろん、それは俺にとっても例外じゃない。

10月という月は自然と気が引き締まる。というのも、2年前ここ横浜で勝負しようと決意した月なのだから。

 

横浜に来て丸2年。

住めば都という言葉があるように、今ではすっかり横浜という街に溶け込んでいる。

 

繁華街の桜木町。港街のみなとみらい地区。歴史の鎌倉と小田原。海軍の街横須賀。別荘地の葉山。海の湘南。山と温泉の箱根・・・

 

まだまだ知らない風光明媚な土地や場所がたくさんある。

そう思うと、本当にいつまでも飽きないステキなところだよね。この神奈川って県はさ^^

 

ただ、いま横浜に住んでいるといっても、一人の”市民”という感覚は全くない。

それはいつまでも一人の”旅行者”としての感覚を失いたくないから。新鮮な気持ちを失わないように、折に触れて意識的に思い出すようにしている。

 

”慣れ”には特に気をつけている。慣れた瞬間感動が無くなってしまうのはよくあること。最初に横浜の地に降り立ったあのみずみずしい感情を忘れたくはないんだよね。

 

30という年齢を超えると次第に地に足をつけた生活を送らなくては・・・というような変な焦りに似た感情を抱くようになる。

それはある意味、当然といえば当然のことなのだろう。

 

だけど、ここ最近の5年間を振り返れば、それとは真逆のことをしている。

同じ場所に1年半以上いたことがないんだよね。

 

なぜだろう。

ふとそんなことを改めて考えていたら、あっさり答えが出た。

 

 

「”慣れ”が初心を忘れる最大の敵である」 

 

 

住む場所に限らず、仕事、人間関係、趣味に至るまで、”慣れ”によって感動が薄らいでいくことがたくさんあるよね。

 

普段の生活の中で知らず知らずのうちに惰性で扱ってしまっているものはないだろうか?

当たり前だと思っていることは、実は当たり前ではなかったりする存在に感謝できているだろうか?

 

例えば、

家族の助け。友人の存在。メンターの教え。パートナーの支え。仕事仲間の協力。

その他にも、日本の衛生状況。食事環境。快適な暮らしを保証されている住環境。分刻みにオペレートされている公共交通機関。ドミノピザは30分以内に配達してくれることw、などなど・・・

 

書き出してみると身の回りには”当たり前”と思われていることが、本当にたくさんあることに気づく。そして、それに慣れてしまっている自分に気づく。 

 

普段何気なく生活していると、「本当は当たり前ではないこと」に対していつからか、さも当たり前かのように傲慢な態度で振舞っている自分に気づく。 

 

慣れることは決して悪いことではない。

だけど、”慣れ”と”感動”は共存しないということを肝に銘じておこう。

 

世の中に溢れる”当たり前のこと”に対して、いつまでも感謝と感動の気持ちを持ち合わせる人間でありたい。どうせだったら、そんな自分で一生あり続けたいじゃん?

 

それが横浜3年目をスタートする今日思うこと。

 

2017年の集大成を。そして、2018年に向けた最高の準備期間として。

この3ヶ月を大切に過ごしていこうよ👍

決して大声では言えない不都合な真実<歴史編>

Chers mes amis

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衆議院が解散するんだってさ。

へぇーあっそ。勝手にすればぐらいの気持ちかな?笑
政治の話とか複雑だし、よくわからん。。。

 

まぁその気持ちもわからなくもない。ぶっちゃけ俺もそっちよりの人間だから^^

 

ちなみにだけど、

初対面の人とは宗教、政治、野球の話は、なるべくしない方がいいなんて話をよく聞くけど、何でだろうね。意見が対立すると人間関係が悪くなるから?


野球はともかく、昔は宗教や政治の話をガンガンお互いの意見をぶつけ合っていたみたいだね。より良い日本を創ろうという風潮をとても大事にしていたようだけど、もはやそれは過去の話なのかな。

 

もしくは、

いまの日本でそうした話が日常的にされないのは、意識的に宗教や政治に目を向けないように教育されてきたからなのか。
そもそも議論したところで世界は変わらないと最初からあきらめているからなのか。
それとも、戦後GHQWGIPの影響からなのか・・・

 

こればっかりはなんとも言えんな。苦笑

理由は一つとは限らないしね。

 

いきなり何でこんな話をしたのか。

 

実は先日、東條英機元首相のひ孫さんという方にお会いしたんだよね。名前は東條英利さん。
初めてだったね。歴史の教科書に出てくる人物の子孫の方にお会いしたのは。

 

ちなみに、東條英機って知ってる?
なんか歴史の教科書で名前を見たことあるような、ないような・・・(ー ー;)

そんなレベルでしょ?たぶんw


偉そうなこと言ってるけど、俺もそんなレベルよ。大して変わらない。
靖国に祀られるA級戦犯の人。太平洋戦争を仕掛けた張本人。戦争に負けた時の首相。そんな程度だよ。

 

俺みたいな断片的な知識しか持ち合わせてない自称歴史好きの頭の中といったら、ここに書くのもはばかられることばかり想像していたよ。

本当に不謹慎極まりないのは承知のうえ、、、正直、東條さんに対して偏見と好奇心でいっぱいだったね。f^_^;

 

前回の記事じゃないけど、まさに色眼鏡を二重にも三重にもかけてるような状態だね^^
だけど、もうあなたもわかっていると思うけど、色眼鏡で世の中を見ていると大抵の場合本質を見誤る。

今まで真実だと思っていたこととは、実は正反対だったりする。


この東條さんとの出会いも例外ではなかったよ。


コンテンツとコンテキスト


「歴史は戦勝者によって書き換えられる」


それは世界の暗黙の事実である。

勝った側が負けた側を批判し、貶めるような記録を残したり、自分たちを正当化するのはある意味当然といえば当然。なぜなら、勝者側にとって都合の悪い情報が世間に漏れることで、その後の政治に支障をきたすのはどうしても避けたいことだから。

 

そう考えれば、歴史とは、情報洗脳プログラムとして最適なツールとして利用しやすい。(お隣の中国や韓国の歴史認識問題もまさにコレ)


そもそも、戦国時代に生きていた人はもうこの世にはいない。坂本龍馬に実際会ったことがある人もいない。すべて本やテレビドラマで見たり、人から伝え聞いたことしか知らないということだ。

 

そんな環境で生きていれば、当然歴史の伝わり方というものは人それぞれ違う。時代背景や人物像の認識レベルの差が生まれても不思議じゃない。


東條さんとの会話の中で特に印象に残っている言葉がある。


「歴史を学ぶうえで、コンテンツ(出来事)とコンテキスト(時代背景)をしっかり見極めて物事を判断する目を養わなければいけない」

 

コンテンツとは、中身、内容のこと。コンテキストとは、背景。文脈のこと。
例えば、新聞でいえば、紙面に掲載されているすべての文章、写真などの画像がコンテンツ。
新聞を発行する新聞社や紙面を飾るニュースの原因や時代背景がコンテキスト。


アメリカと戦争をしました。広島と長崎に原爆が落とされました。真珠湾を攻撃しました。特攻隊が派遣されるようになりました。など、
すべて結果(コンテンツ)として事実を受け止めつつも、


太平洋戦争の時代背景。メディア煽動の風潮。燃料である石油や石炭の枯渇問題。諸外国との外交問題など、止むにやまれない原因が度重なったというコンテキストもしっかり見極めて物事を考えなければいけないということ。

 

当時の時代背景を知らず、戦争を経験したこともない今の世論が、いくらあいつが悪い、こいつが悪い、あの出来事がいけなかった、あの決断が悪かったなどと論じることなど全く無意味なこと。

 

そうではなくて、

 

なぜ力の差がわかっていたにも関わらずアメリカと戦争をしなければいけなかったのか?
当時の偽の戦勝ムードを作りあげたのは誰だったのか?そしてどんな目的だったのか?
国民が軍に過剰な期待をかけるように仕向けたのはなぜなのか?


このコンテンツとコンテキストをしっかり見極めて物事を判断して欲しい。
そして、いまを生きる日本人に一人でも多く、そうした目を養って欲しい。

 

こうした想いを伝えることが、戦犯として裁かれた先祖を持つ末裔としての使命なのだと東條さんは語る。いまの世界情勢を鋭く読み解き、日本人にわかりやすく伝えるように講演会やセミナーを開くのはそうした理由からなのだそうだ。


初めてホンモノの歴史に触れる

 

この質問を聞かずには帰れない・・・

密かにそんな決意をもって東條さんにお会いした。

 

そしてセミナー終了後、お酒の席で思い切って東條さんに聞いてみた。


「曽祖父さん(東條英機)のことをどう思っていますか?」と。

 

こんな答えが返ってきた。


「当時日本のトップとして、敗戦責任を一身に受け止めなければいけないのは仕方がないこと。
それでも、僕は曽祖父さんのことを尊敬している。
残念ながら、いまの世の中の人は、国民のために戦争を最後まで回避しようと奔走し、どんなことがあっても天皇陛下をお守りしようと覚悟を決めていた、真実の姿は誰も知らない」

 

震えたね。


この言葉を聞いた時、初めて”ホンモノの歴史”に触れたように感じたね。

本や教科書で学ぶような味気ない二次元の歴史じゃなくて、血の通った歴史を。
歴史とは、時代を超えた一連の物語が繋ぎ合わさったものだと改めて実感する。

 

そして、同時に、

世の中の情報を牛耳るメディアの存在がいかに巨大な影響力を持っているかを改めて感じたね。それは今も昔も変わらない。

 

そういえば、アメリカの作家のアール・ナイチンゲールはこう言っていたね。

 

「大衆はいつも間違える」


戦犯としてアメリカから裁かれた人物の子孫として、世間からの偏見や差別を受け止めながら力強く生き抜いてこられた方の言葉の重さは計り知れない。

 

いまの世の中で起きている出来事の”コンテキスト”とは何だろうか?

そんな目線で政治や世界情勢を見れば、少しは歴史に興味が湧いてくるかもね^^

 

 

 

 

 

 

 

 
PS.

ちなみに、写真は国会議事堂。
これを機会に少しは政治の勉強でもと思ってね。空き時間見つけて行ってきたわ。

 

気分はまるで修学旅行生^^ 

ここで繰り広げられた数々のストーリーに想いを馳せずにいられないね。