From:のむらよしのり 横浜・保土ヶ谷の自宅より、、、
最初に言っとくわ。
今日の記事はめっちゃ長いよ。でも、ほんと大事なことだで、ぜひ最後まで読んでくれると嬉しいね。今日の内容が、あなたの人生に活力を与えることを願って。
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今年もこの日がやってきたね。
2021年8月15日正午。今年で76回目の終戦記念日を迎える。ほんと早いもんだよ。
毎年この日は、甲子園を見ながら高校球児たちと黙祷を捧げているけど、雨の影響で試合が中止になってるようだね。ひとり静かに自宅で目を閉じる。
誰しも、いろんな事情で「特別な一日」という日があると思う。俺にとっては、、、というか「日本人」にとっては8月15日は間違いなくその一つだろうね。
あらためて、命というものの大切さを考える日。そして、自分の人生を真剣に見つめ直す日。
あ、ちなみに、最初に言っておくけど、別に俺、平和主義者でもなんでもないからね。
ブログにわざわざこんな事書いて、「平和を願いましょう」なんて気持ちがあるわけでもない。家族や大切な物を守るためならば、戦争になるのも仕方ない、と思ってる人間だ。
もし将来、子供を持つことになったら、親としての自分の考えを子供に押しつける気はないし、平和を押しつけることもしないし、「ゼッタイ戦争反対!」などと言うつもりもない。
ただし、過去に何が起きたのか?という事だけは正しく理解させたいね。感情を排除して、事実のみを正しく理解する。
その上で、自分が今、何のために生きているのか。毎日、ただ目的も目標も無く流されていないか。他人や環境のせいにして言い訳や泣き言ばかり言っていないか。
そして、自分の人生のゴールに向かって、たとえゆっくりでも一歩ずつ近づいているという充実感や達成感を持って日々過ごせているか。を考える。
こういった事を定期的に考える日を持つ人と持たない人では、人生の質がまったく違う物になると俺は思ってる。
もちろん、俺は聖人君子ではないし、24時間365日、いっつも気を張って真剣になんて生きてないよ。
家でダラダラYouTubeで漫才見ながらゲラゲラ笑ったり、酒を飲みながら、友人知人とよもやま話に花を咲かせたり、キレイなお姉さんがいるお店で鼻の下を伸ばしながらデレデレしたり、、、
でも、こうして襟を正す日を持つのもアリだよね。こういう日がある事によって、人生のベクトルの向きを修正することができる。
そう言えば、ある人がこう言ってたわ。人間、死ぬこと以外かすり傷だって。
俺もこの言葉に激しく、激しく同感だ。死んだら全てがおしまい。そこでゲームオーバーだ。とはいえ、人はいずれ必ず死ぬ。そんな事小学生でも知ってることだ。
でも、果たしてどれぐらいの人が、この疑いようのない事実と真剣に向き合っているか。・・・ほとんどいないんじゃね?苦笑
今、この瞬間を振り返ってみて、もし自分の人生がだらしない毎日になってしまっているのだとしたら、自分がいずれ死ぬという事実をハッキリと想像できていないからなのかもしれんね。
人生にはタイムリミットがあるという事。死というものが何人も例外なく訪れるという事。そして、それは自分の意思とは関係なく、突然訪れるという事。
そんな事を考えるのが、俺にとっての8月15日というわけね。
もちろん、俺がまだ青かった10代や20代の頃なんて、そんなこと1ミリも考えたことなかったよ。あの日の経験をするまでは。それを今から少し語らせてね。
■祖父が語ってくれた戦争の記憶
俺がまだ小学生だった頃。ある日学校の社会の授業で、戦時中の様子をまとめてくるようにと、宿題をだされたことがあったんだけど、その時、母方の祖父に戦時中の話を聞いたことがあった。
「じいちゃんは、戦争の頃どんな生活をしてたの?」と。
祖父はあまり口数の多い人ではなかったから、自ら進んで戦時中の話をすることは今まで一度もなかった。
聞いたその時も、少しの時間何かを考え込んでいた。そして、一言。
「いっつも腹、空かせとったなぁ...」
いつも祖父が俺を見つけると開口一番、「何か食うか?」「腹減っとらんか?」と、言っていたのを思い出した。
昔の人ってみんなそうだったよね。子供を見たらとりあえず、「腹減ってないか?」「アメ食べるか?」って聞いてた記憶がある。
じいちゃんも、ばあちゃんも、必ず「腹一杯メシ食えよ、大きくなれよ」っていつも言ってたもんね。
腹一杯食えて、健康。戦時中はこれだけが唯一の望みだった。
今では考えられんよね。でも、そんな事さえも強く望まなければ当時は手に入らなかったわけだ。
そして、もう一つ。じいちゃんの言葉で強烈に印象に残ってる言葉がある。
「よしのり。実はな、じいちゃんトッコーに志願しとってな。ちょうど終戦になって行かんようになった」
トッコー。そう。あの特別攻撃隊のことだ。
小学生だった当時は、「トッコー」という言葉が、何を意味しているのか全く理解していなかった。
それから10年後。社会人になり、祖父から聞いた戦時中の話などすっかり忘れ、日々の忙しない生活に埋没していた。
ところが、ある場所を訪れたことにより、再び「トッコー」が身近なものになる。
■人生の方向性を決めた運命の場所
あなたは鹿児島県にある、「知覧(チラン)」という町を知ってるだろうか。言わずと知れた、太平洋戦争時の特攻隊の出撃地となった場所だ。
俺が初めて知覧を訪れたのは、今から12年前のこと。あてもなく九州を巡る放浪の旅に出るために、友人と神戸から車をフェリーに乗せ、鹿児島へと向かった。
その道中、地元の鹿児島へ帰るという60代ぐらいの一人のおばちゃんと仲良くなった。
これから向かう鹿児島の観光スポットをいろいろと教えてもらった。そして、おばちゃんにこう言われた。
「チランへは必ず行って来なさい」
半ば強制するかのような、熱のこもった言葉だった。
「(チラン?どこだろう。聞いたことないな...)」
恥ずかしながら、当時の俺は「知覧」という場所がどんな街なのかまったく知らなかった。どうやら昔、特攻の基地が置かれた場所らしいという情報だけを頼りに、
「それなら、せっかくだし行ってみようか」
そう友人と話し合い、行くことに決めた。
夜が明け、鹿児島の志布志港に無事到着し、浮かれ気分のまま知覧の特攻平和会館へ向かった。
※特攻平和会館
http://www.chiran-tokkou.jp
到着して間もなく、すぐに違和感を感じとった。何とも言い表すことのできない、得体の知れない雰囲気が漂っていた。
チケット売り場へ向かう途中、平和会館を見学し終わって出てくる人皆、ハンカチで顔を覆っていた。すぐに察した。
「(この人たち、みんな泣いてる...)」
さっきまでの浮かれ気分はどこかに消え、一気に緊張感が高まった。入り口をくぐり抜けると、
隊員が出撃前に書いた遺書。故郷の家族へ宛てた手紙。大切な恋人へ宛てた手紙。隊員が残した遺品と遺影。実大サイズの戦闘機の残骸。など、、、
これから死にに行く特攻隊員たちの実物の遺品や手紙が所狭しと展示されていた。
「(なるほど、そういうことか...)」
入り口ですれ違った、ハンカチで顔を覆って泣いていた人の理由がわかった。
例外にもれず、俺もダメだった。人目をはばからず涙で顔がくしゃくしゃになった。この時ほどハンカチとポケットティッシュを持っていなかったことを後悔したことはない。
そして、同時に、小学生の頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「(そうか、じいちゃんもここにくる予定だったのか...)」
人生に”もし”はないけど、この時ばかりは考えずにはいられなかった。
もし一週間、終戦の日が遅れていたとしたら・・・
俺はこの世にはいない。「野村美徳」という人間は生まれてこなかった。
人には人生の転機というものが必ずある。
ある出来事に直面する前と後で、すっかり自分の心構えが変わってしまう。そんな出来事が。
俺にとっての転機とは、間違いなく「知覧」という地を訪ねたことであるのは間違いないね。
ちなみに、九州の小・中学生の修学旅行の行き先は知覧らしいよ。もし、まだ知覧に行ったことがないなら、ぜひあなたもこの特別な空間を体験してくるといいよ。
いや、、、日本人なら死ぬまでに一度は絶対に行かなあかんよ。ぜひ時空を超えて故人たちと対話をしてきてほしい。その時は、ハンカチとポケットティッシュは忘れずにね!
■「おかげ様で」を忘れず今を精一杯生きる
祖父が亡くなって、早4年が経つ。
今では、身近に戦争の話をしてくれる人は誰一人いなくなった。だからこそ、8月15日はあの時代を必死に生きた”先輩達”のことを想像して、自分を省みたいと思うわけだよ。
自分って怠け過ぎていないか?夢ばっかり見て、現実を生きてないんじゃないか?やればすぐできる事をグズグズ先延ばしにしてんじゃないか?人生、なげやりになってないか?
これまでの自分の人生を振り返る。
先輩達は、あの悲惨な状況を必死に生き延びて、命を繋いで、瓦礫と化した日本をここまで復活させてくれた。
そして、何も無かったところから、今や世界一住みやすいと言われるようなこんな素晴らしい国を作ってくれた。
それが今や何でもあるのに、「コロナ」という敵を目の前にして、みんな何もできないと思い込んでいる。いや、何もしない、という言葉の方が適切だな。苦笑
ほんと皮肉なもんだよ。どんな可能性だってあるのに、いつの間にか失うことを恐れて挑戦することに臆病になる。
さらに、選択肢も可能性もたくさんあり過ぎて、ある意味、昔の人より不幸になってる人って多くない?見られる夢が多くなり過ぎて、不幸な人が増えてる気もするよね。
だから、「三丁目の夕日」のようなノスタルジーに浸れる映画が流行るんだよ。
あの時代は良かったなーって。
「バカヤロー!いいわけないだろ!食べるものはない。着るものも粗末。住むところはあばら家。過去に対する勝手な幻想を描いて、現実から目を背けてんじゃねーよ!」
そう先輩達に叱られやせんか?
どう考えても、今の方が数倍、いや数百倍、数千倍幸せだわ。先輩達には、今のように「夢」を見ることも、叶えられる可能性も無かったんだから。
でも、そんな先輩達が、もし今の俺たちの贅沢すぎる悩みを抱えながらダラダラ生きてる姿を見たとしても、「もっと真面目に生きなさい!」なんてたぶん言わないと思うんだよね。
「いいじゃねーか!どんなにダラけていようと、ボケっと生きていようと、寝るところも着るものも心配しなくて済むんだろ?お腹いっぱいご飯が食べられるんだろ?それだけでいいじゃねーか!幸せで何よりじゃねーか!」
って、ニコニコしながら、優しく言ってくれると思うんだよね。
夢とか目標とか、そんなもん二の次でいいから、とりあえず腹いっぱいメシ食って、元気でいてくれ!と。
でも、だからこそ、その優しさにあぐらをかいてちゃダメだと思うわけ。
俺たちは飢えて死ぬことはない。殺される心配もない。住むところも、仕事も、何だって選べる。
なのに、その権利を120%行使しないなんて、めちゃくちゃもったいなくないか?って激しく思うわけよね。昔は、権利もクソも一切なかったんだから。
だから、俺は先輩達が命がけで与えてくれたこの人生を、心の底から楽しみたい。打ちのめされながらも、何度でも挑戦したい。望む物があれば、頑張って努力して手に入れたい。そう強く、強く思う。
そして、毎年お墓に手を合わせて、おかげ様で今、こんなに楽しい人生を送れています。と感謝の報告をしに行くんだよ。
本当におかげ様だよ。こんなに自由で可能性がある環境が目の前にあるのに、それを謳歌しようと努力しないのは、逆に失礼なことだと俺は思ってる。
76年前の今日を迎えるまで、国内では原爆や空襲によって無念にも命を落とした人たちが何十万人といる。
戦地に赴いて、必死に国民のために戦って壮絶な死を遂げた人たちが何百万人といる。
体中がガラスの破片で覆われたり、飢えと疫病に苦しんだり、腹が割けて垂れ落ちた内臓を抱えたまま逃げたり、蜂の巣のごとく銃弾を浴びたり、手足がもげて這い回る人や、人間なのか分からないほど黒焦げになった人がいる。
いずれも皆、生きたくても生きられなかった人たちだ。その先輩達のことを思えば、俺たちは何だってできる。コロナ、コロナと怯えてる場合じゃない。
そう思わんか?
彼らの分まで生きる、、、なんてそんなおこがましく、大そうなことを言うつもりは毛頭ないよ。
でも、先輩達の存在に思いを馳せながら、今ここを真剣に生きていくことはできる。
がんばろう。
君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった明日である。
アメリカ原住民の言葉より
黙祷
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